徒然すぎて草。

君に顔はいらない。

HUBで女の子を攫って行った外国人とダーツをやった話

外国人と一緒に、人生初のダーツをやったよ!

女の子とHUBで飲んでいたら、色々あって僕が目を離している隙に、近くで飲んでいた外国人(金髪碧眼のイケメンだった)が女の子を連れてどこかへ行った。

酒の勢いに任せて「付き合ってみない???」と言ってみたら、「今、色々大変でそういうのあまり考えられないかな」と言われた直後の話だ。

 

あまりにもよく分からない状況に、すでに7杯くらい飲んで痛み始めた頭がさらに痛む思いがした。

店を出ると、彼女からメッセージが飛んできた。

「なんかダーツへ連れ去られた(笑)」

すげーな外国人(イケメン)。PDCA~!

 

 

沸いてきた怒りの感情に任せて、星と翼のパラドクスでもやってヒカリちゃんに会いに行くかと思ったものの、この状態でやったら飲酒運転になってしまう、と思い止まり冷静になった。

外国人へ連れられた彼女はどこの馬の骨ともしれない他人であるが、もし何かあれば今日という日を一生悔やむだろう。

そう思い、彼女にはどこへ行ったかを伝えてもらい、その店に入ってみることにした。

すると、ほどなくして酒を飲んでいる2人を発見した。

心を落ち着かせるため、懐に忍ばせておいた「ツァラトゥストラはかく語りき」を読みながら遠くから監視していると、外国人がトイレに行ったのでその隙に女の子に声をかけた。

 

 

話を聞いてみると彼女にしても半ば不本意な形で連れられたようだが、特段嫌がっている風でもないので非常に対応に迷った。

そうこうしている内に外国人が戻ってきて、「うわ、どうしよう……」と思っている内に、なし崩し的に3人でダーツをすることになった。

ダーツへ向かう道すがら、外国人が女の子の腰に手を回すも、女の子自身に撥ね退けられているのを見た時は正直笑った。

イカれたプレイヤー3人を紹介するぜ!

僕……ダーツ初心者。数回会った子(↓)に試しに「付き合ってみない???」と言ってみるものの返事を先延ばしされる。知ってた。

女の子……ダーツ経験者。面白い。数回の食事を経て交渉する……が、駄目……!

外国人……イケメン。マジで顔がよかった。

ダーツの前に座った僕は思った。

……ナンダコレ?

こんな形で人生初の本格的なダーツをやるとは思いもしなかった。

しかもこの英国人、めちゃくちゃダーツが上手い。

どれくらい上手いかと言うと、他の2人との接戦を演じるために低い点数を取るのが見て取れるくらいで、正直言ってキレそうになった。

1時間程だろうか。さして場を盛り上げてやることもせず、場をひたすら微妙な感じにして白けさせ、最後は外国人に多めに払わせて解散した。

夜の歌舞伎町へ一人消えて行く彼の背中は少し、寂しそうに見えた。

 

祭りの後

後で彼女から聞いたことだが、最初はダーツへ誘われたもののその辺をフラフラして、「なんか見つかんないからホテル行かない?」と言われたらしい。

確信犯じゃないか。

とはいえ、彼の行動にはいろいろと考えさせられるものがあり、貴重な経験をさせてくれたな、という風に思わされた。

二度と御免だが。

何はともあれ、何事もなく済んで肩の荷は下りたし、曖昧なままズルズルと行きそうだった関係も一区切りつけたので、気分はあまり悪くない。

 

買ってきた本を読んでいるばかりの毎日では決して味わうことのなかった体験ではあったものの、これは果たして「書を捨て町に出よ」というものなのだろうか。

甚だ疑問である。

4人目の女

事の始まりは、年末のクイーン特集の番組でフレディ・マーキュリーゾロアスター教徒であったことを知ったことだった。

 

「あっ、『ボヘミアンラプソディー』観たいかもしれない」

 

我ながらゲンキンなものである。それまでミーハーだと思い、視界にすら入れようと思わなかった映画を、たったこれだけの情報から見たいと思ってしまうのだから。

興味の向くきっかけがゾロアスター教でいいのか? と思わなくもないが、ゾロアスター教はそれ自体が他の宗教に与えた影響は数多いものの(キリスト教に見られる「最後の審判」などはその典型だ)、今ではその信徒が非常に少ない宗教だ。

ましてや、フレディ・マーキュリーがその信徒とあっては、心躍るのも無理はなかろう。

 

そんな頃、私のtinderのアカウントで一つのマッチが成立していることに気が付いた。

2枚目の眼鏡をかけた画像が実に可愛らしい。人間という生物は基本的に写真写りが悪いもので、写真よりも実物の方が見られるという性質があると私は信じていたので、このマッチに一縷の望みをかけることにした。

そして、私は思った。

「どうせなら女の子と映画を見に行きたい」

そう思った私の行動は速かった。

 

「はじめまして! 眼鏡似合いますね!」

「映画とか好きですか?」

 

そんなメッセージを送って半日が経った頃、相手から返事が来た。

 

「好きですよ! 友達とよく観に行ったりします!」

「最近は何の作品を見ましたか?」

 

ああ、何たる恐ろしい問いかけだろうか。私はひどく戦慄した。

最近は何の作品を見たか。それに答えるのは容易い。つい2週間ほど前に観に行ったばかりだからだ。

しかし、「仮面ライダーの映画を観に行ってました!」と答えるのはあまりにも筋が悪い。

あの映画は確かに面白かった。特撮に限らずあらゆるフィクション作品が虚構に過ぎない、しかし忘れない者がいる限り、その作品は永久のモノになる。素晴らしいメッセージ性だ。私のようなコンレボクラスタにはたまらない。

だが、初対面に近い女の子にそれが通用するかは話が別だ。絶対に微妙な雰囲気になる。マッチングアプリは相手から返信が来なければそこで試合終了だ。

その前に観た作品は何だったか。これも思い出せる。

「ANEMONE エウレカセブン ハイエボリューション」

違う! そうじゃない!

エウレカセブンに造詣のある女の子なんて滅多にいるものかよ。

ANEMONEは確かに良作だったし、「エヴァQっぽかった~!」と言っている脳味噌がスカブで出来ているような輩にはバスクード・クライシスを食らわせてやりたい手合いであるが、私の思い入れと世界の認識は別の話だ。

 

遂に困った私は苦し紛れの選択をした。

「友達との付き合いでアネモネって作品を見に行きました!」

なんということだろう。私に一緒に映画を観に行く友達はいないというのに。

流石にこれだけのメッセージだと、相手の方もスン……となることが容易に予想できたので、「ボヘミアン・ラプソディーはもう見ました?」みたいなことも添えて送った。

すると、「実は友達と観に行っちゃって……」と返ってきた。

ちくしょう、なんて日だ。

そんなこんなで私自身はあまり興味がなかったファンタスティックビーストを観に行く約束が成立した。

 

ところで、出会い系やマッチングアプリをやる上で忘れてはならない点があるのを、あなたはご存じだろうか。

それは、こうしたサイトやアプリを使う女性は「量子力学的な性質」を持っているという点だ。

かつて物理学者がシュレーディンガーを揶揄した猫箱の逸話のごとく、女性たちは実際に会うまでその実在が確定しない。

我々がその姿を認識して初めて、その女性はこの世界に「在った」ことになるのである。

要するに、「すっぽかされる」ということだ。

 

アポ当日までの数日間、

ブックオフで買った「ツァラトゥストラはかく語りき」を夜に読み、

昼に暇さえあればゲーセンに通って「星と翼のパラドクス」をプレイしながら、

すっぽかしの恐怖と戦っていた。

おかげで星と翼のパラドクスの方は階級が星3まで伸びた。

仮に相手の実在が確定しないからといって、手を抜く試合があるかといえばそうではない。

映画を観に行く約束をして、映画を観るだけの解散ではあまりに味気ない。

冴えた計画が必要だ。

映画が上映するタイミングは押さえた。行く予定のカフェも押さえた。

諸々のイメージを固める……。

後は当日の決戦に臨むだけ。……そう思っていた。

 

一つの凶兆は、「ブギーポップは笑わない」の冒頭5分を見ている時に訪れた。

このアニメは竹田という少年が、宮下という女の子とのデートの約束をすっぽかされるところから始まる。

観ている間、これまでにすっぽかされた経験が川のようにフラッシュバックしてきて身悶えした。

 

凶兆は、もう1つ訪れた。

それは、星と翼のパラドクスを6日ぶりにやった帰りの夜のことだ。

ちょうど、アポの前日だった。

なんだか胃の調子が悪い。気分が悪い。軽く吐き気すらする。

 

そして当日。

崩れた体調は戻ることがなかったが、幸い咳はなく、感染すタイプの体調不良ではなかろうと考えた私は、身を襲う寒さが外気温故なのか、体調故なのか区別もつかないまま待ち合わせ場所へ向かった。

すると、待ち合わせ時間にもなろう頃、相手から一つのメッセージが届けられた。

 

「すみません! 今起きました!」

 

一瞬、あまりにも体調が悪くて読み間違えたかと思った。

だが、何度読み返しても書かれている事実は変わらない。

そして、突きつけられた現実に眩暈がした。

だが、続いて送られてからメッセージを読む限り、来る気はあるらしい。

来ると言っておいてすっぽかされた経験がある身としては、落ち着いてお洒落をして無事に会いに来てくれと願うばかりである。

 

そうして、代わりのカフェを探し、予定の時間まで待つこと2時間、ついにその時は訪れた。

 

「あの、もしかして風見さんですか?」

 

来た、見た、勝った。

 

嬉しさのあまり、「来てくれてありがとう! 7回約束したら5回はすっぽかされるから嬉しいよ!」と余計なことを口走る始末だった。

今回入ったのは新宿三丁目のcafe AALIYAというフレンチトーストが売りの店だ。

ランチはフレンチトーストとドリンクにスープもしくはサラダがついて1000円でお釣りが来るという良心設計で、味もなかなかに良い。そのためか、店はとても繁盛しているようだった。

惜しむらくは、互いに胃腸の調子が悪くてあまり食べ進められなかったことだが。病んだハラワタにフレンチトーストは鉛のような重さだった。

 

その後は、適当に仕事や学生時代に何の研究をしてたか、恋バナなどを聞きつつ、カラオケに行って解散した。

正直、少しやらしい雰囲気に持って行きたくはあったが、これ以上の欲をかけば吐く気がしたので大人しくすることにした。

 

今回を思い返すと、良かった点、悪かった点がまあまあある気がする。

良かった点

・手軽な話題ですぐにアポへ結びつけられたこと(これは運)

・相手の遅刻も事前のリサーチの延長で対応できたこと

・相手が知っている、普段やっていることに対して、自分も知っている部分があり、話が広がったこと

 

悪かった点

・体調があまりに悪く、やや消極的になってしまった

・信頼関係を構築するための会話がややぎこちなかった

・完璧主義が顔を出してしまい、ある程度のリスクが取れなかった

 

次の機会があれば、この辺りを踏まえて行動を調整しようと思う。

 

それにしても今回のことを思うと、この手のアプリは実際に会うまで、心が折れないことがモノを言い、

会ってからは事前の準備や知識の下地がモノを言うのだと思う。

 

この記事を読んだあなたにも楽しみがありますように。

それでは!

 

へたっぴでも楽しめる、星と翼のパラドクス

近況報告

年の瀬も近づき、怒りが湧くほど寒さが増してきた。

皆さんはいかがお過ごしだろうか。

私はというと、高校の同期から結婚式の招待状が来て、白目を剥いている。

今年になってようやく人生初のデートをやった私と、結婚にたどり着いた彼。

私はいったい、人生をどこで間違えたのだろうか。

どこからか班長の声さえ聞こえてくる気すらする。

へたっぴさ……! 風見君……生きるのが下手……!

自分で書いてきて悲しくなってきた。

少しは楽しい話題を書きたい。

 

星と翼のパラドクスをやり始めた

楽しい話題といえば最近、「星と翼のパラドクス」にハマってゲーセンによく行っている。

コックピットを模した筐体で、大きな画面に映される戦場でロボットを駆るというのが、まさに「ごっこ遊び」で実にいい。

さらに言えば、

出撃する前にナビゲーターのキャラ(アズワンという)とハイタッチするだけで笑顔になれる。

その心境たるや、

度重なる使徒との戦闘を経て、ゲンドウとの距離も縮まったと勘違いした結果、

「戦いは男の仕事!」とサムズアップしてのけた、

我らが碇シンジ先輩のような感じである(伝わらない例え)。

その後、無敵のシンジさんはレリエル虚数空間に飲まれて生死の境をさまよった。

世の中、そう上手くはいかない。

「星と翼のパラドクス」もそうだ。

相手は自分の思った通りには動いてくれないし、

強いて言えば、

強いて言うなら、

本当に強いて言うなら、

自分の機体の操作すらままならない。

単刀直入に言うと、へたっぴなのである。

どれくらい下手かと言うと、

今日6戦やった戦績が0キル12デスだった。

嘘だと思うかもしれないからもう一度言おう。

6戦やって0キル12デス。

私も嘘だと思いたい。というか味方に申し訳なさすぎる。

不殺(ころさず)の誓いでも立てているのか?」といった様相だが、

生憎、私の刃刀刃(※1)は逆刃ではない。

操作がヘッタクソ過ぎて、エネミーが中々ロックオンできないのだ。

12デスというのも中々ひどい戦績で、一試合2回死んでいるとなれば、

これはもう慈善事業で死んでいるのかと言われても文句は言えない。

 

※1:ゲーム内に出てくる格闘武器。「ばとうじん」と読む。

 

最低限の役割を果たそうとすれば、下手でも楽しめる

ここまでお読みの諸兄の中には、首をかしげる人がいるだろう。

「そんなタコ殴りにされて楽しいのか?」

結論から言うと、

今のところかなり楽しんでいる。

不本意にも不殺の誓いを立て、慈善事業で死んでいるかのような私がなぜ楽しめているか?

それは、星と翼のパラドクスは、陣取りゲームの要素を持っており、

相手プレイヤーを倒すことだけが全てではないからだ。

もちろん、敵を撃破できればそれに越したことはないのだが、

このゲームに関しては、戦況をそれなりに把握して、

指定の箇所に居座る・敵の固定砲台や無人兵器を削るといった

役割をこなそうとすれば、評価されるように出来ている。

この辺りが、開発元が同じ、

ガンスリンガーストラトス(ガンスト)」とは異なるところだと私は思う。

知らない人のために説明すると、

ガンストはいわば、銃型の筐体を用いた撃ち合いゲーである。

 敵を多く屠れば勝ちというというルール上、

やる・やられるという要素が必ずつきまとってくる。

私は以前、ゲーセンで他の人がプレイしているのを見て、

「カッコいいなあ」と思ってやり始めたクチだが、

銃のエイムは全然ダメ、移動の操作をするとさらにダメ、

試しに、と挑んだ全国対戦で秒殺されて涙を飲んだ。

「もう一度やろう」という気力すら湧かず、3クレもやらずに諦めた

だが、星と翼のパラドクスはそんな私でも楽しめている。

仕事をしている間にも、

「やりに行きたいなあ、ヒカリちゃんとハイタッチしたい……」

と思う程度には楽しめているのだ。

 

一番星になる一歩を踏み出そう

おそらく、この記事を読んでいる方は次のパターンに分かれるだろう。

・すでに星翼をやっていて、上手くやっている

・すでに星翼をやっていて、自分って下手だなあと思っている

・星翼に興味があるけど、上手くやれるか不安

私は、この記事を後ろの2者メインに向けて書いている。

自分は下手だなあ、と思っている人は安心して欲しい。

6戦0キル12デスの私が臆面もなく、記事を書いている。

やってみたいけど不安だなあ、という人も安心して欲しい。

「こいつでも楽しめてるんだったら自分も……」と思ったのではなかろうか。

そりゃあ、こんな風になるかもしれないが。↓

 

今は全国対戦をやってもプレイ人口ゆえか、

8on8の試合に各チーム2~3人くらいにCPUが混じっている。

この比率が少しでも減って、「星翼楽しいじゃん!」となる人が増えればいいな、

と思っている。

 

それでは!

 

ハズキルーペCMは欲望の具現である

ハズキルーペのCMはターゲット層の欲望を巧みに現出した芸術

最近、ハズキルーペのCMを見て 、軽く感動した。

何に感動したのかと言えば、

ターゲット層であろう中高年男性の欲望を潤沢な予算で現出した、マーケティングの芸術と思えたからだ。

まだ観ていないなら↓で見てみてほしい。

www.youtube.com

CMは武井咲が扮するキャバクラのママが、

ハズキルーペを店で売り出すと宣言するところから始まる。

お分かりだろうか。戦いは既に始まっているということを。

ハズキルーペはその商品の性質上、中高年をターゲットとしている。

その中でもあえて「キャバクラ」という舞台を設定することで、

「この商品は中高年の『男性』のあなたにガンガン売っていきますよ」というメッセージを暗に伝えているのだ。

 

消費者のイデアル

ほどなくして、嬢たちが迎える中を小泉孝太郎が相当慣れた様子で来店する。

ここにも、製作者の作りこみを感じる。

おそらく、このCMにおける小泉孝太郎の役割は、

ターゲットである中高年男性のセルフイメージあるいは理想の姿だ。

彼らは自分のことをまだ若いと思っているかもしれないし、またそうありたいを思っている。

だが、若すぎない。これが大事だ。

また、この高級そうなクラブに慣れた様子で出入りできるということは、財力に相当の余裕がある。

適度に若く、財力がある小泉孝太郎は、消費者の理想のペルソナとなって武井咲に迎えられる。

武井咲小泉孝太郎を迎えてからもさらにすごい。

小泉孝太郎は、

  • パソコンで目が疲れる
  • 字が細かくて見えない

という中高年にありがちな悩みを、時に普通なら滑る芸まで見せて現して消費者と同化する。

武井咲はそんな彼を労い、あろうことか滑る芸を見せたことに対して「お上手ね」と宣う。

しかもその姿に分かりやすい媚びは存在しない。

ビジネスライクさはあるが、そんなことは分かっている。

全てが消費者のために構築された空間で、承認を得られる。

なんという自己承認ワールドだろうか。

 

隙を生じぬ二段構え

CMは進み、商品のウリを説明していく。

この舞台に捉えられた消費者の心は、宣伝文句を受け入れる準備が出来ている。

ブルーライトをカットし、重くなく、

武井咲のかけているルーペへ視線を移動させ、さりげなく新色まで宣伝する。

だが、ただここで視線を動かすだけではない。

視線を動かした先に、更なる仕掛けを用意しているのがこのCMだ。

武井咲の方へ視線をやった小泉孝太郎に、とある人物の姿が映る。

 

舘ひろしだ。

 

なんということだろう。

舘ひろしといえば、中高年男性が憧れるダンディの代名詞じゃないか。

小泉孝太郎でおなか一杯になりかけていたところに、

舘ひろしを投入することで視聴者を飽きさせない工夫が見える。

すごい、すごいぞ、ハズキは二度刺す

しかも、ちゃっかりとサングラスタイプも出ているぞ、という宣伝までついている。

皆もサングラスタイプをかけて舘ひろしになろうというわけだ。

 

サブリミナル原風景~ゾウが踏んでも壊れない筆箱を添えて~

ハズキルーペの攻勢はまだ止まない。

武井咲がおもむろに、嬢たちに「ハズキルーペ」を(椅子に)置けと命じる。

一体何を見せてくれるのだろうか。

そう思った我々は、嬢たちが次々とルーペを尻に敷く姿を目にする。

二度ならず三度までも、しかも嬌声をあげながらだ。

尻に敷かれても壊れないハズキルーペ

それは奇しくも、今時の中高年が少年だった頃、

世間で話題になっていた「ゾウに踏まれても壊れない筆箱」の姿と重なる。

少年の頃の原風景が、キャバ嬢の尻という性的なモチーフで再現される。

口ではどんなに「品がない」とは言っても、少年の心と息子は素直なのだ。

 

さらに、小泉孝太郎は「この強度、流石メイドインジャパン」と宣う。

そう、丈夫で質のいい製品は、若かりし頃の強い日本の象徴である。

これも一つの原風景であろう。

 

さらにCMが進み、ギフトに最適といった文言が流れると共に、

再度、ルーペが嬢の尻に敷かれる映像が流れる。

一度ならず、二度までも。

ダメ押しに、小泉孝太郎が「ハズキルーペ、すごい!」と言う。

そう、ハズキルーペはすごい! 本当にすごいんだ!

これにはカラデシュに大興奮していたマロー氏もニッコリであろう。

 

おわりに

正直なところ、このCMを見た時は、

「予算スゲー」

「消費者のことをかなり考えて練り上げられた企画に違いない」

と思った反面、

「よくもまあこんな即物的なCMを作ったもんだな」と思った。

巷でも、気持ち悪いといった意見があるようだが、それはある意味当然の話である。

CMという媒体が、消費者の欲望に火をつけて購買行動に移させるというものである以上、

その欲望の見せ方は、感情を掻き立てるほど分かりやすくなければならない。

そして、欲望とは決して手放しで肯定されることのない、気持ち悪い側面を持つモノである。

だが、欲望がなければ何も動かないのも事実なのだ。

近頃、表現の面で小うるさい言説をよく耳にするが、

そうした口を持って自分たちがあたかも正義の使徒であるよう振る舞う彼らは、

正義であろうとすることそのものが欲望であることに無自覚であり、

どんな英雄も聖女もやがて堕落し、腐り果てることを知らない。

そうした人間たちの言説がはびこる今の世の中で、

このようなCMを見られたことに私は喜びを感じる。

欲望の賛歌は人間の賛歌なのだ。

 

最後に、厳密な意味で言えば全く違うのだが、それっぽく締めるために、

アレイスター・クロウリーの著書から次の言葉を贈りたい。

汝の意志するところをなせ。それが法の全てとならん

眼鏡のオタクがコンタクトに挑戦しに行った話

オタクが眼鏡を外す日

今日、人生で初めてコンタクトレンズなるものを眼鏡屋に行って試してきた。

この世に生を受けて二十余年、

「目の中にモノ入れんの怖いじゃん?」

という理由で敬遠してきたのだが、

「風見君、眼鏡かけない方がイケてるじゃん?」

という言葉を受けてちょっと試してみるかなあ、と思った次第である。

我ながらゲンキンなものである。

ふと、眼鏡キャラがそれを外すに当たっていちご100%を思い出したが、

よくよく考えたら眼鏡キャラだった東城は結局、真中争奪戦に敗れたじゃないか

と思い、オレはこの方向性で大丈夫なのだろうかと思わなくもない。

この記事を読んでいる諸兄は4人いたヒロインのうち誰がお気に入りだろうか。

私は、東城綾北大路さつきで迷うところである。

東城はスペックが高すぎて、付き合うには男の方も見合うようにしないと

勝手に男の側が辛くなって関係が壊れるパターンになる気がする。

さつきはグイグイ来てくれるエロい子(真中のことが好きという大前提るにしても)で、

童貞としては理想に近いタイプの女子なのではなかろうかと思うのだが、

なんというか、どちらかの気持ちが醒めた時が恐ろしいのではなかろうかと思う。

また、思うに、真中が西野を選んだのは、

かわいくて、

そこそこ手ごろで、

恋のライバルがいる焦りがあって、

という点に集約されるのではないかなぁ、と思う。

南……? 知らない子ですね……。

 

話がかなり逸れてしまったが、初めて装着したコンタクトレンズの感想は、

「裸眼でちゃんとモノが見えるのって、久しぶりだな」だった。

初めての装着はそこそこ難しく、

応対してくれた、ギャル曽根にそこはかとなく似た店員(以下、ギャル曽根と呼称)が言うには、

「初めての人はコンタクト入れるのに30分とか1時間とかかかる人もいて、

中には『私には無理!』って言って帰っちゃう人もいるんですよ~」

とのことだった。

へぇー、そんなもんなのか、と思いながら頑張っているとギャル曽根が、

「お客さん、目が大きいから多分大丈夫です! 頑張ってください!」

とか言うもんだからこっちもなんだか気分がよくなる。

オレは目が大きい! 誰がなんと言おうと目が大きいんだ。

結局、20分かそこらで両目をつけることに成功し、

「なかなかこんな短時間で付けられる人いないですよ~!」

ギャル曽根がダメ押しで褒めてくるので、気が良くならないわけがない。

頻繁に付けるかどうかはおいておいて、コンタクトレンズはここで買おう、

と思った瞬間であった。

 

よかったらコメントにいちご100%のヒロインで誰が一番好きだったか書いていってください。

それでは、また。

ふくらはぎの筋トレは冷え性を救うかもしれない

ある日、はてなブログスマホアプリからこんな通知が届いた。

「○○さんがあなたの半端な筋トレは冷え性を救わないにコメントを書きました」

これを見た時、あー、こんな記事を書いたなあ、と感慨深い気持ちになった。

なにしろ2年前の記事である。このブログ、なんともう2年もやっているらしい。

 

persona-kaza310.hatenablog.com

この記事を要約すると、

焼きたてジャパンを読んだ少年が、冷え性改善のために筋トレを志したけど、

結局冷え性は治らずに腹筋が割れただけだったよ、というものである。

相変わらず、冷え性は治っておらず、最近は寒くなってきて手先も順調に冷たくなってきている。

そんな折だ。↑の記事にコメントがあったのは。

よく見ると、1年前にもコメントがされていた。しかも結構重要そうなことが書いてある。

しかし私は見逃していたらしい。

社会人生活1年目の闇を抱えていた時期ゆえだろうか。

しかし、仕事をしていようが何だろうが、手先は冷える。

コメントをしてくださった方々は、一様に次のようなアドバイスをしてくれていた。

ふくらはぎを鍛えましょう。

はて、なぜ手先の冷えを改善するのにふくらはぎなのか。

焼きたてジャパンの河内は上半身のトレーニングで太陽のガントレットを身に着けていたじゃないか!

と思ったので、自分でもちょっと調べてみた。

そもそも冷え性は筋肉不足に由来するとのことで、

特に下半身に行った血液を再度、上半身へ送り出す機能が弱ければ、

それだけ全身の血行が悪くなり、血が廻らなければその個所は冷える。

そのため、ふくらはぎと太腿は血液を全身へ送り出すための

第二の心臓とでもいうべき役割を担っているのだという。

つまり、ふくらはぎを鍛えれば冷え性は改善される!

やったぜ。 

 

コメントをくださった方々、ありがとうございます。

これから数か月ほど、電車の中で立ったときとかにふくらはぎの筋肉を鍛えることに専念しようかと思う。

その結果については、またブログで発表することにしようかと思う。

 

サピエンス全史第2部(下)

 第2部はホモ・サピエンスが農業革命を経ていかに変化したかを語る章だ。

前回はこちら↓

 

persona-kaza310.hatenablog.com

 個々人ではさほど得をしないが、全体としては益をもたらした農業革命の中で、人類は次の問題に直面した。

それは、増えすぎたメンバーをいかに効率よく管理するかという問題だ。

これに対し、人類は次の2つの解決策を生み出した。

  1. 行動の規範となるルールの発明
  2. 文字、書記体系の発明

人員が増えれば、それを取りまとめるルールが必要になるし、ルールの正確性を期すためにも、何をしたのかを記録するためにも、後に残る形でしっかりと記録しなくてはならないというわけだ。

この発明により、人類は一定のルールに則って協力することが可能になった。

また、書記体系がルールを不変のものとすることで信用を加算し、かつ活動をする中で蓄積される膨大な情報を効率的に処理することが可能となった。

 

だが、人類が生み出したのは明るい概念だけではない。

集団が形成されていくにつれ、差別やヒエラルキーが現れるようになった。

一度現れたヒエラルキーは社会規範の一側面となり、それを逸脱することはひどく困難だった。そうなると、ヒエラルキーはさらに強固なものになり、結果的に差別や貧困に苦しむ大多数のヒエラルキー下層者と、それらから搾取する少数のヒエラルキー上層者という関係性が生まれることとなった。

 

感想

この本の感想というか、この形式でブログ書いていることに対してなのだが、なんだか飽きてきた。

本書の根幹は「存在しえない概念を生み出して信じて協力した人類スゲー」であり、それに沿った話が時代ごとに話が進んでいく形だ。

なので、章を読み進めて行っても異なる側面から結局は同じことを見つめ、同じ結論を得る羽目になる。

同じ物事を異なる側面から見るの面白いじゃん! という意見はあるだろうが、ブログという短い文章でまとめることを求められる形式だと結構つらい。

愚痴になってしまった。

そのため、次回からガッ、とまとめてお送りするかもしれません。

それでは、また。