徒然すぎて草。

君に顔はいらない。

黒ニンニクとかいう食材

突然だが。

黒ニンニクという食材が苦手だった。

ニンニクをいい感じに発酵させたこの物体は、滋養強壮・スタミナ増強という効用を持つと言われ、食材としては以下の特徴を持つ。

・酸味

・ニンニクの風味

・ねっとりした食感

お分かりだろうか。生で食べるにはあまりおいしくないのだ。

薬として食べるにも、後味のニンニク風味による圧倒的な”キツさ”が邪魔をする。

そこで思った。

食材としても薬としても口に入れることが厳しいなら、わき役として使用すればいい。

調味料としての活路を見出すしかない。

そう思うと黒ニンニクという物体に対する見方が変わった。

ニンニクの風味がついている、固形の酢。

そう思えば料理に使うイメージも湧いてくる。

黒ニンニクを潰して、醤油や味噌といった塩気のある調味料と合えれば、少しさわやかな風味の味付けが出来る。

おいしい料理の要素であるニンニクの風味も何となくだがつく。

惜しむらくは、生のニンニクを油で炒めた時の香ばしさがあまり出ないことだが。

割とこれは致命的な弱点のように思えるが、香ばしさがあまり重要視されない汁物のような料理に使えばいいのでは、という気がする。

 

人間を生産しろ

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コラムから出た思想

今日、カレー沢薫メシアが子育てに関するコラムを書いているのを見た。

突然カレー沢薫メシアとか言われてうわコイツどうしたんだ、と思った人のために補足をしておく。

カレー沢薫とは、かつてモーニングでプロレタリアート系猫漫画『クレムリン』や、ゴラクで「ねこもくわない」などを連載した経験を持ち、最近では各地のサイトでコラムを書いている、漫画家・コラムニストである。

気になった人はどんな人かググってみてほしい。

さて、子育てに関するコラムの話に戻る。

内容は大まかに言って、

現代の日本で子供を産むというのは、入れるかも分からない「保育園ガチャ」という博打に挑まなければならない上、少子化という問題の解決に貢献しているにも拘らず、産んでいない人間からなぜか白い目で見られる行為なのだ、

というものだった(はずだ)。

私はこれを読んで、「やはり人類は工業的に、一個体いくらというレベルで生産されるべきだなあ」と思ったのだが、突然こんなことを言い出しても狂ったかのように思われるのは癪なので、ブログの記事がてら思想を書いていくことにする。

 

状況の整理

まず、現在の人口生産に関する日本の状況を整理したい。

一人で生きていくのがやっとか、もしくは誰かを養う余裕がなく、

子どもを産むことに憧れながら諦めるか、共働き前提で産んで保育園ガチャに挑む。

情報の流通によって子育てがまるで地獄であるかのような様相を見せつけられ、

かつ、自分たちの人生すらあまりよくないので、将来的にこの世界に産み落とされる子どもの未来も明るくは見えない。

そうなると、もはやエゴでも子どもを産み育てるというのはコストに見合わない行為になってくる。

コストを見つめて合理的に考えれば、一個体がこの国で得られる最大限の利益を享受する方法は一つに絞られる。

それは、自らは子どもを産まず、他人が産み育てた労力にフリーライドする形だ。

世代比較で言えば、ベビーブームで生まれた人間たち、そして今の若者とされる人間も同じく、人としてまっとうな他人の払った労力に規制して生きている。

ただし、一昔前の豊かだった時代の人間が行うフリーライドに比べ、若い世代の行うフリーライドは、火を点す爪を得るかのような、さもしく、惨めな、だがしないよりはマシというものになるだろう。

世界はいつだって、他人の上前をピンハネする個体が栄えるように出来ている。

そして、全ての個体が賢しく生きる世界は、それゆえに滅ぶのである。

 

フリーライドの限界、人口の崩壊

ただ、フリーライドするにも限度がある。

他者のカンパを頼りにして公共投資をサボってみれば、出来上がるのは何に使うかも分からないみすぼらしい施設になることもあるし、

二人の囚人は自分が有利になろうとするあまり、二人そろって最大級の刑期を食らう羽目になる。

さらに、自分だけ少しだけでもマシに生きていこうと思っても、寄生するための他人が滅んでしまっては元も子もない。

我々日本人が親の世代から言われ慣れている、日本人という人種の絶滅や、それより前の社会制度の完全な崩壊はとても現実味のある未来像だ。

そして、その未来には、わざわざ子どもを産み育てようなどと思う人間は殆どいない。

 

人口を生産し、教育し、社会に還元するのが政府の役割になればいい

もはや子どもを積極的に産み育てようとする個体がいない中、仮に日本人を残そうと思うならどうするべきか。

結論から言えば、政府が技術とコストをもって人間を工業的に生産し、教育を施し、社会に送り出し、その恩恵を政府と社会に還元させることだ。

全ての個体が子供を育てるか否かという観点で合理的に、賢しく生きるとしたとき、社会の富のバランスは産まない方に比重が傾き、産む方が割を食うことになる。

この時、政府に求められるのは、割を食う側への補填、つまり福祉である。社会全体で見れば富める者を富ませ、貧しきをさらに叩くことが最大効率への道なのだが、そうすると治安が悪くなるので、政府は余分なコストを支払って貧しきを救わなければならない。

こうした例で最も上がりやすいのは生活保護だとか、健康保険といったものになる。

子どもを産み育てるという観点で言えば、子育てに関する援助金がそれに該当する。

だが、今は援助金がコストを埋め合わせるには足りていないのが現状だ。

それでは、金銭的な問題が解決されれば子どもを産む個体が増えるか?

おそらく、増えはするだろう。私個人の感慨としては、子どもなどは幸せな家庭という親のエゴとこらえ性のなさで産み落とされるものだし、一人程度であれば産める者は産む、程度のものだ。その人数制限のタガが金で外されるなら、望む者は更に増えるだろう。

だが、全体はどうだろうか。どうせ人間のことだから最悪のことを考えよう。

殖えることを望む者がいる一方で、人と結びつくことを好まない人間もいるのである。

配偶者や恋人の有無、恋愛感情に関する統計データでもその傾向は顕著だ。

その勢いは更に加速していくことは想像に難くない。いずれ、個人と個人の間ではどうしようもない断絶が生じた時代が来ることと思う。

こういう話題になると、若者が虚構にかまけるからだ、とか、積極性に欠ける、といった話が出てくることが多いと思われるが、そんなことは虚構に魅力で負け、積極的に動く気も起こさせない現実の人間の価値のなさが諸悪の根源だ。

我々は情報技術によって多くの価値観、つまり価値あるべき虚構を知り、他者の得た苦痛をいつか降りかかるコストとして、それを避けるための知識を知った。

さらに現実の頼りなさ、価値のなさを知ったから、いつか降りかかるコストを避けるには防御するでもなく、ただ無自覚に見切りをつけただけに過ぎない。

いかに多様性の時代といっても、それは技術の発達によって個体が多くの物事を知られるチャンスが増えたというだけで、知ったことを理解できるか、受け入れられるか、は全く保証しない。人間一人に受け入れられる個性の数など、たかが知れている。

例えば、世界の人間を二種類に分けて、受け入れられる人間の境界を決めてみよう。

若者か、老人か? 特定の思想を持つか否か? 男か、女か?

様々な観点があるだろうが、究極的に収束するところは、「自分か、それ以外か」の程度でしかない。自分すら受け入れられないものは産まれ落ちた世界を呪うか、命を絶つかのどちらかだろう。

このようにして、個人の断絶が進めば、好き好んで他人と繋がって子どもを産みたがるような個体は存在しなくなるのは当然のことで、その結果、民族が滅びるのは全く不思議ではない。

滅ぶなら滅んでしまえばいいと思うが、もし、政府が国としての姿とその実体を望むのなら、これはもはや政府自らが公共の福祉として「人口を生産」するしかない。

何らかの技術をもって、単価いくらで人間を生産し、育て、教育し、労働させ、政府に還元させる。

これこそが究極の社会福祉ではなかろうか。

それに、人間の生殖は個体ではなく政府が司るのだから、もはや人間に生殖のための性別も必要なくなり、ジェンダーの役割からも解放される。いっそ性別など失くしてしまえば、くだらない男の性欲も、女が抱えていると主張されるハンデもなくなる。

これは多少、現在の人間が望む姿と比べれば歪んでいるかもしれないが、それでも今よりはマシではなかろうか?

むしろ、無性もしくは中世の人間という像は、天使のような宗教的シンボルのようで、天界のイメージが近しいように私には見える。

 

倫理の壁

人間とはかくあるべし、といった話をすると、倫理という観点が必ず前に立ちふさがる。それは、倫理というものがまさしく、人よかく在れ、と時代に応じて定められる概念だからだ。

だから例えば、今の私のように、人間は単価いくらで生産されるべきだ、などと言うと、それは命の価値をあまりにも軽んじすぎでは……という答えが返ってくる。

命の価値を大事に考えるのは、今ならではの考え方だと私は思う。

(私は今の時代の人間なので、どうせ生きるからには何か価値があるべきだと思うし、どうせなら楽しい方がいいとも思うのだが、一方でどうしようもなく辛かったり世界が呪わしいのなら、それをすっぱり切り捨てるぐらいの価値の軽さでもいいと思う)

なぜなら、断絶が進めば皆大事なのは自分の命だけであって、究極的な話をすれば他者の命などは知ったことではなくなるからだ。その状態で、単価いくらで生産されるような無性人間の価値など、かかったコストと将来見込まれる利益の差し引き額以外に何を見出すのか?

 

当然ながら、すぐに変化は起きない。

人が他人に対して冷酷さを増し、興味が薄れ、いつかそれが致命的なものになったその時までに、人間の胎を借りずに人間を生み出す手段・技術が生まれればいいと思うが、どちらが間に合うのが先だろうか。

「そもそも人間をコストと期待をかけてまで、生産する意味ある?」と考える人間が多数を占めればそれだけで私の思い描くユートピアは壊れるのだが、どうもその方が可能性があるような気がしてならない。

2018年8月31日

9月2日だというのになぜ私は8月31日の日記をつけているのか?

その答えは、その日が飲みの帰りであったことと、昨日の私がゲームにかまけていたことが原因である。

しかしながら、あの日は普段通りではないことがあったので、その備忘録としてこの記事を書く。

大学時代の友人と飲みをやった。

彼(Aとしよう)は2年の時のゼミ仲間で、柄にもなく教授をリスペクトし(本当に尊敬していたのだ)思い出せる限りの中で大学生活が一番楽しかった頃の友人だ。

その彼と2年ぶりに飲み、いくつか、「これは覚えておこう」という言葉をかけられたので、振り返りと共に記しておく。

 

A曰く、私のことはAの別な共通の友人(Bとする。これも2年の時のゼミの仲間だ)とAが飲んでいるときに話に上がってくるそうだ。

その話に上ってくる私の評価は「見た目がいいのになんか残念な奴」だそうである。

正直なところ、私はよくこういうことを言われる。そして次のようにも言われる。

黙っていればそれなり(Aは女形の役者のようだと言っていた)なのだが、なんだか残念な感じがある、と。

 結構色々な人に言われ、「覇気がない」とか「髪型もうちょっとがんばったら」などと言われるのだが、覇気などどう出せというのかという話だし、髪型に関しては美容院に行ってみたことがあるのだが、1000円カットと同じくらいの感慨しかないのでとても馬鹿々々しかった。

Aによれば、私の面白さは対面か、私の外見とセットになってこそのものらしく、このブログも面白いことには面白いが、それはリアルの私を知っているからなのだという。

そう来ると、セルフプロデュースする方法は一つしかない。

Youtuberだ。

好きなことで生きていく。確かに素晴らしい言葉だと思う。

だが、Aはこうも言っていた。

「お前が自分で面白いと思って書くところに、お前の面白さは宿らない」

「お前は変人になりたい常識人、凡人だから、変人の土俵で戦おうとすると上位互換に勝てないんだ」

Aによれば、私が普通に、面白くも思わず当たり前のように行う行動に他人から見たクレイジーさが宿るらしい。確かに、我々が狂人を見てどこか滑稽さを覚えることがあるのは、本人はその行為を大真面目にやっているからで、本人がそれを面白いと思ってやっていたら興ざめもいいところだろう。

だから、Aの結論としては、私が面白くも思わないことを嫌々ながら書くのが、他人にとって面白いポイントになる、とのことらしい。自衛隊イラク駐屯地レポートのようなものか、と私が言うと、彼は、いい喩えじゃないか、と満足気だった。

また、文体についても上の性質から口語体の文章より、文語体に近い形で書いたらどうか、とのことでもあった。

そのため、この記事はそういう方向性で書いている。

さて、Youtuberの話に戻るが、自分で面白いと思わないところを動画にして編集するのはかなり苦痛を伴うのではなかろうか。自分でそれをやっているところがどうにも想像がつかない。

誰か自分の他に一人でもついてくれたらと思わなくもないのだが、Aは「お前をプロデュース出来る自信があるけど、お前といると情報量が過多で怠いからやらない」とのことだった。人のことだと思ってずいぶん気軽に言うものだな、と思ったが、他人の人生など仕事でもない限り知ったことではないので、もっともである。

 

 

或る夏の思い出

今日は土日含め7日続いた夏休みの最終日。

甲子園と全く関係なく取った休みだったので、特にこの8月21日は、

「今日、オレがツイッターを眺めて無為に過ごしているこの時間は、他の誰かが甲子園決勝を見たくて涙を飲んだ時間なんだ」

と思えて非常に有意義でした。

甲子園、全然興味がないんですよね。

そもそも私、高校の一年になるまで甲子園の所在地をまともに知らなかったくらいなので。

正解を知るまで、甲子園は世田谷あたりにでもあるんだと思っていました

今回は徒然すぎて草。の名前に恥じない、徒然記事なので、適当に流し読みでもしていただけると幸いです。

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最低限のコストでホ別2万の人を見抜く方法

待ち人来たらずなんてことはよくあるが……

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今日、とあるサイトで女性と待ち合わせの約束をしたのですが、普通にすっぽかされました。

こんなことは初めてではないのでショックとかは全然ないんですが、

時間と金を無駄に使わされたという点において、ホ別2万の人よりよっぽど悪質だなぁ、と思いました。

FGOのガチャに例えるなら、

金色になる演出が出たのに星3のサーバントが出てきたくらいの渋さです。

想像しただけでスマホ投げつけたくなるでしょう?

これがリアルの人間が起こしたものだと考えてください。

キレたくなるでしょう?

しかし、私《わたくし》、大人なのでそんなはしたなくはキレませんし、

ガチャなら引くまで引きますし、

会うためなら会えるまでメールしますわ、オホホホ(ヤケッパチ)。

実際何人かには会ってますし(震え声)。

 

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おっと、ホ別2万って何でしょうか、ですか?

ホ別2万。

この言葉は出会い系サイトを始めると必ずぶち当たる、

相手にするだけ金と時間が無駄な概念でございます。

せっかくなので今回は、以下のテーマでお送りします。

・ホ別2万とは?

・ホ別2万に時間と金を無駄にしないために

 

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25歳の貞淑メンヘラに角オナを提案した話

皆さん、初めましての方は初めまして。久しぶりの方はお久しぶりです。

このブログ、当初はウィクロスを扱ってはいたんですが、ちょっと熱も薄れてきてあんまりプレイ自体してなかったんですよね、最近。

で、代わりになにやってたの、って話なんですが、出会い系でログボ(ログインボーナス)勢やってました。

今日は、そんな目くるめく出会い系の世界で出会った25歳の女性に、「あの、角オナどうっすか?」と提案したお話をしたいと思います。

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らいだぁ杯に行ってきたよ

やぁ皆さん、ユキ大手(自称)の風見です。

つい先日、らいだぁ杯に参加させていただいたので、その所感を残そうかと思っています。

 

まず結果から。

 

使用デッキ:最幸創世イフリードマユキ

1戦目:リワト 〇

2戦目:2アン ×

3戦目:5ママ ×

4戦目:カーニバル ×

1-3。

マジで何しに来たの? って結果ですね。

普段からチャラチャラとウォーブレにかまけてルリグに構っていない奴が勝てるほど、

ウィクロスの世界は甘くないということを思い知りました。

就職してからおよそ1年たちますが、その間あまりウィクロスを本腰入れてやっていなかったというのもあり、

人間相手にウィクロスやるのも3週間ぶりくらいで、1戦目は緊張で震える手で、

「べっ、べるひぇーごしゅちゅげんッ、イフリード落として正面ばにっしゅ!」

みたいな感じでプレイしてました。

あと、試合が始まる前に「人間相手のウィクロス久しぶりですよ~」って言ったら、

「何? 佐為とでもやってたの?」と返されました。

平安のウィクロス大手と練習を積めていたなら、その方がどんなに良かったか分からない。

平安時代ウィクロスはない? 源氏物語にユキが桐壺として出ていることを知らんのか(嘘)

 

そもそもなんでユキで出たの?

業界の優位性は?

ルリグで防御完結してないよね?笑

って聞かれると自己分析が出来ていない就活生張りに黙り込んでしまうこと必至なのですが、

こればっかりはユキ以外にロクに組めるデッキも回せるデッキもなかったから仕方ない。

あまりに仕方なさすぎて、あとはプレイングスキルでカバーするしかないと思いました。

具体的にどうプレイングスキルを上げるかを考えた時、

真っ先に思いついたのがmasterさんの肉を食べることでした

最遊記のモブ妖怪張りに、「ヒャッハー! お尋ね者のmaster一行(町田勢)だぁ!」

と襲撃するプランを2分考えましたが、

僕自身も町田勢であることを思い出したのと、

仮に肉を食ったところで持ってきてしまったデッキはどうにもならないことを悟ってそのまま出ました。

その結果が1-3です。

2アンはまぁアーツ構成的に仕方ないとして、5ママの時はプレミで落としたのが悔やまれます。

やっぱりmasterさんの肉を食べておけばよかったと後悔しました。

 

こうして試合が終わって2日経った後も、プレミで落としたのが割と悔しかったりするので、

完全にウィクロスから心が離れた訳じゃないんだなー、ということに気づけただけでも、らいだぁ杯に出た意味はあったかな、と思います。

運営の方々、

そして僕に創世マユキにワンチャンあるのでは?と助言をくれた鳩麦さん、

本当にありがとう。

そして1-3という結果に終わってちょっと申し訳ない。

 

ところで、だ。

今、ウィクロスより熱いと感じているゲームがある。

War of Brains(通称ウォーブレ)

というタカラトミー製のDTCGなのだが、皆さんはご存じだろうか。

 

一時期はプレイ人口が少なすぎて村だの過疎地だのと言われたゲームだが、

度重なる公共事業と村祭り(新パックとイベント)と村民(ウォーブレのプレイヤーの通称)のふるさと納税(つまり課金)によって、

ウォーブレ村はシティといってもいい位置に息を吹き返した。

これがどれくらいすごいのかを適当にポケモンで語ると、

シオンタウンがクチバシティになるくらいの違いである(あのクソ不穏なBGMがなくなるだけでもQOLは爆上がり間違いなしだ)。

ウォーブレのバランスはかなり考えられている方で、

些細なミスが死に直結したり、テンポとアドのバランスを考えながらの駆け引きはとても熱いから

本格的なTCGプレイヤーにも安心してお勧めできるし、

コンセプトが面白いコンボも多く存在する。

中には相手にターンを明け渡すことをコンセプトにした、

「ディスターン」なる耳馴染みのないデッキタイプが生まれる程の面白いプールであり、デッキを深く考えたい人にも強くお勧めできる。

また、GAME CHANGERと呼ばれる他のカードゲームで言うところのレジェンドに該当するカードたちは、出すとBGMが専用のものに変わる。

この曲たちが本当にカッコいいのだ。

一部のキャラに関してはvocal付きのBGMになっており、

《慟哭のジル・クライハート》というカードの専用BGMにはなんと、

TCG界の歌姫こと分島花音が起用されている。

ウィクロスプレイヤーには何度もお世話になった人も多いだろう。

(僕は分島花音の曲だったらカレンデュラ・レクイエムが好きですが)

そしてなにより、明日15日のアップデートを機に、新規プレイヤーには計56パックが配られる。

つまり、もう分かるな? 村はお前の入村を歓迎している。

村に入るなら明日からが絶好のチャンスだってことだ。

もちろん、村人も気持ちは同じ。かく言う僕もそう。

 

さぁ、皆もウォーブレやろうぜ!

僕は脇にウィクロスのデッキを抱えながら、今日もユニオンのデッキを回す。