徒然すぎて草。

ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん

へたっぴでも楽しめる、星と翼のパラドクス

近況報告

年の瀬も近づき、怒りが湧くほど寒さが増してきた。

皆さんはいかがお過ごしだろうか。

私はというと、高校の同期から結婚式の招待状が来て、白目を剥いている。

今年になってようやく人生初のデートをやった私と、結婚にたどり着いた彼。

私はいったい、人生をどこで間違えたのだろうか。

どこからか班長の声さえ聞こえてくる気すらする。

へたっぴさ……! 風見君……生きるのが下手……!

自分で書いてきて悲しくなってきた。

少しは楽しい話題を書きたい。

 

星と翼のパラドクスをやり始めた

楽しい話題といえば最近、「星と翼のパラドクス」にハマってゲーセンによく行っている。

コックピットを模した筐体で、大きな画面に映される戦場でロボットを駆るというのが、まさに「ごっこ遊び」で実にいい。

さらに言えば、

出撃する前にナビゲーターのキャラ(アズワンという)とハイタッチするだけで笑顔になれる。

その心境たるや、

度重なる使徒との戦闘を経て、ゲンドウとの距離も縮まったと勘違いした結果、

「戦いは男の仕事!」とサムズアップしてのけた、

我らが碇シンジ先輩のような感じである(伝わらない例え)。

その後、無敵のシンジさんはレリエル虚数空間に飲まれて生死の境をさまよった。

世の中、そう上手くはいかない。

「星と翼のパラドクス」もそうだ。

相手は自分の思った通りには動いてくれないし、

強いて言えば、

強いて言うなら、

本当に強いて言うなら、

自分の機体の操作すらままならない。

単刀直入に言うと、へたっぴなのである。

どれくらい下手かと言うと、

今日6戦やった戦績が0キル12デスだった。

嘘だと思うかもしれないからもう一度言おう。

6戦やって0キル12デス。

私も嘘だと思いたい。というか味方に申し訳なさすぎる。

不殺(ころさず)の誓いでも立てているのか?」といった様相だが、

生憎、私の刃刀刃(※1)は逆刃ではない。

操作がヘッタクソ過ぎて、エネミーが中々ロックオンできないのだ。

12デスというのも中々ひどい戦績で、一試合2回死んでいるとなれば、

これはもう慈善事業で死んでいるのかと言われても文句は言えない。

 

※1:ゲーム内に出てくる格闘武器。「ばとうじん」と読む。

 

最低限の役割を果たそうとすれば、下手でも楽しめる

ここまでお読みの諸兄の中には、首をかしげる人がいるだろう。

「そんなタコ殴りにされて楽しいのか?」

結論から言うと、

今のところかなり楽しんでいる。

不本意にも不殺の誓いを立て、慈善事業で死んでいるかのような私がなぜ楽しめているか?

それは、星と翼のパラドクスは、陣取りゲームの要素を持っており、

相手プレイヤーを倒すことだけが全てではないからだ。

もちろん、敵を撃破できればそれに越したことはないのだが、

このゲームに関しては、戦況をそれなりに把握して、

指定の箇所に居座る・敵の固定砲台や無人兵器を削るといった

役割をこなそうとすれば、評価されるように出来ている。

この辺りが、開発元が同じ、

ガンスリンガーストラトス(ガンスト)」とは異なるところだと私は思う。

知らない人のために説明すると、

ガンストはいわば、銃型の筐体を用いた撃ち合いゲーである。

 敵を多く屠れば勝ちというというルール上、

やる・やられるという要素が必ずつきまとってくる。

私は以前、ゲーセンで他の人がプレイしているのを見て、

「カッコいいなあ」と思ってやり始めたクチだが、

銃のエイムは全然ダメ、移動の操作をするとさらにダメ、

試しに、と挑んだ全国対戦で秒殺されて涙を飲んだ。

「もう一度やろう」という気力すら湧かず、3クレもやらずに諦めた

だが、星と翼のパラドクスはそんな私でも楽しめている。

仕事をしている間にも、

「やりに行きたいなあ、ヒカリちゃんとハイタッチしたい……」

と思う程度には楽しめているのだ。

 

一番星になる一歩を踏み出そう

おそらく、この記事を読んでいる方は次のパターンに分かれるだろう。

・すでに星翼をやっていて、上手くやっている

・すでに星翼をやっていて、自分って下手だなあと思っている

・星翼に興味があるけど、上手くやれるか不安

私は、この記事を後ろの2者メインに向けて書いている。

自分は下手だなあ、と思っている人は安心して欲しい。

6戦0キル12デスの私が臆面もなく、記事を書いている。

やってみたいけど不安だなあ、という人も安心して欲しい。

「こいつでも楽しめてるんだったら自分も……」と思ったのではなかろうか。

そりゃあ、こんな風になるかもしれないが。↓

 

今は全国対戦をやってもプレイ人口ゆえか、

8on8の試合に各チーム2~3人くらいにCPUが混じっている。

この比率が少しでも減って、「星翼楽しいじゃん!」となる人が増えればいいな、

と思っている。

 

それでは!

 

ハズキルーペCMは欲望の具現である

ハズキルーペのCMはターゲット層の欲望を巧みに現出した芸術

最近、ハズキルーペのCMを見て 、軽く感動した。

何に感動したのかと言えば、

ターゲット層であろう中高年男性の欲望を潤沢な予算で現出した、マーケティングの芸術と思えたからだ。

まだ観ていないなら↓で見てみてほしい。

www.youtube.com

CMは武井咲が扮するキャバクラのママが、

ハズキルーペを店で売り出すと宣言するところから始まる。

お分かりだろうか。戦いは既に始まっているということを。

ハズキルーペはその商品の性質上、中高年をターゲットとしている。

その中でもあえて「キャバクラ」という舞台を設定することで、

「この商品は中高年の『男性』のあなたにガンガン売っていきますよ」というメッセージを暗に伝えているのだ。

 

消費者のイデアル

ほどなくして、嬢たちが迎える中を小泉孝太郎が相当慣れた様子で来店する。

ここにも、製作者の作りこみを感じる。

おそらく、このCMにおける小泉孝太郎の役割は、

ターゲットである中高年男性のセルフイメージあるいは理想の姿だ。

彼らは自分のことをまだ若いと思っているかもしれないし、またそうありたいを思っている。

だが、若すぎない。これが大事だ。

また、この高級そうなクラブに慣れた様子で出入りできるということは、財力に相当の余裕がある。

適度に若く、財力がある小泉孝太郎は、消費者の理想のペルソナとなって武井咲に迎えられる。

武井咲小泉孝太郎を迎えてからもさらにすごい。

小泉孝太郎は、

  • パソコンで目が疲れる
  • 字が細かくて見えない

という中高年にありがちな悩みを、時に普通なら滑る芸まで見せて現して消費者と同化する。

武井咲はそんな彼を労い、あろうことか滑る芸を見せたことに対して「お上手ね」と宣う。

しかもその姿に分かりやすい媚びは存在しない。

ビジネスライクさはあるが、そんなことは分かっている。

全てが消費者のために構築された空間で、承認を得られる。

なんという自己承認ワールドだろうか。

 

隙を生じぬ二段構え

CMは進み、商品のウリを説明していく。

この舞台に捉えられた消費者の心は、宣伝文句を受け入れる準備が出来ている。

ブルーライトをカットし、重くなく、

武井咲のかけているルーペへ視線を移動させ、さりげなく新色まで宣伝する。

だが、ただここで視線を動かすだけではない。

視線を動かした先に、更なる仕掛けを用意しているのがこのCMだ。

武井咲の方へ視線をやった小泉孝太郎に、とある人物の姿が映る。

 

舘ひろしだ。

 

なんということだろう。

舘ひろしといえば、中高年男性が憧れるダンディの代名詞じゃないか。

小泉孝太郎でおなか一杯になりかけていたところに、

舘ひろしを投入することで視聴者を飽きさせない工夫が見える。

すごい、すごいぞ、ハズキは二度刺す

しかも、ちゃっかりとサングラスタイプも出ているぞ、という宣伝までついている。

皆もサングラスタイプをかけて舘ひろしになろうというわけだ。

 

サブリミナル原風景~ゾウが踏んでも壊れない筆箱を添えて~

ハズキルーペの攻勢はまだ止まない。

武井咲がおもむろに、嬢たちに「ハズキルーペ」を(椅子に)置けと命じる。

一体何を見せてくれるのだろうか。

そう思った我々は、嬢たちが次々とルーペを尻に敷く姿を目にする。

二度ならず三度までも、しかも嬌声をあげながらだ。

尻に敷かれても壊れないハズキルーペ

それは奇しくも、今時の中高年が少年だった頃、

世間で話題になっていた「ゾウに踏まれても壊れない筆箱」の姿と重なる。

少年の頃の原風景が、キャバ嬢の尻という性的なモチーフで再現される。

口ではどんなに「品がない」とは言っても、少年の心と息子は素直なのだ。

 

さらに、小泉孝太郎は「この強度、流石メイドインジャパン」と宣う。

そう、丈夫で質のいい製品は、若かりし頃の強い日本の象徴である。

これも一つの原風景であろう。

 

さらにCMが進み、ギフトに最適といった文言が流れると共に、

再度、ルーペが嬢の尻に敷かれる映像が流れる。

一度ならず、二度までも。

ダメ押しに、小泉孝太郎が「ハズキルーペ、すごい!」と言う。

そう、ハズキルーペはすごい! 本当にすごいんだ!

これにはカラデシュに大興奮していたマロー氏もニッコリであろう。

 

おわりに

正直なところ、このCMを見た時は、

「予算スゲー」

「消費者のことをかなり考えて練り上げられた企画に違いない」

と思った反面、

「よくもまあこんな即物的なCMを作ったもんだな」と思った。

巷でも、気持ち悪いといった意見があるようだが、それはある意味当然の話である。

CMという媒体が、消費者の欲望に火をつけて購買行動に移させるというものである以上、

その欲望の見せ方は、感情を掻き立てるほど分かりやすくなければならない。

そして、欲望とは決して手放しで肯定されることのない、気持ち悪い側面を持つモノである。

だが、欲望がなければ何も動かないのも事実なのだ。

近頃、表現の面で小うるさい言説をよく耳にするが、

そうした口を持って自分たちがあたかも正義の使徒であるよう振る舞う彼らは、

正義であろうとすることそのものが欲望であることに無自覚であり、

どんな英雄も聖女もやがて堕落し、腐り果てることを知らない。

そうした人間たちの言説がはびこる今の世の中で、

このようなCMを見られたことに私は喜びを感じる。

欲望の賛歌は人間の賛歌なのだ。

 

最後に、厳密な意味で言えば全く違うのだが、それっぽく締めるために、

アレイスター・クロウリーの著書から次の言葉を贈りたい。

汝の意志するところをなせ。それが法の全てとならん

眼鏡のオタクがコンタクトに挑戦しに行った話

オタクが眼鏡を外す日

今日、人生で初めてコンタクトレンズなるものを眼鏡屋に行って試してきた。

この世に生を受けて二十余年、

「目の中にモノ入れんの怖いじゃん?」

という理由で敬遠してきたのだが、

「風見君、眼鏡かけない方がイケてるじゃん?」

という言葉を受けてちょっと試してみるかなあ、と思った次第である。

我ながらゲンキンなものである。

ふと、眼鏡キャラがそれを外すに当たっていちご100%を思い出したが、

よくよく考えたら眼鏡キャラだった東城は結局、真中争奪戦に敗れたじゃないか

と思い、オレはこの方向性で大丈夫なのだろうかと思わなくもない。

この記事を読んでいる諸兄は4人いたヒロインのうち誰がお気に入りだろうか。

私は、東城綾北大路さつきで迷うところである。

東城はスペックが高すぎて、付き合うには男の方も見合うようにしないと

勝手に男の側が辛くなって関係が壊れるパターンになる気がする。

さつきはグイグイ来てくれるエロい子(真中のことが好きという大前提るにしても)で、

童貞としては理想に近いタイプの女子なのではなかろうかと思うのだが、

なんというか、どちらかの気持ちが醒めた時が恐ろしいのではなかろうかと思う。

また、思うに、真中が西野を選んだのは、

かわいくて、

そこそこ手ごろで、

恋のライバルがいる焦りがあって、

という点に集約されるのではないかなぁ、と思う。

南……? 知らない子ですね……。

 

話がかなり逸れてしまったが、初めて装着したコンタクトレンズの感想は、

「裸眼でちゃんとモノが見えるのって、久しぶりだな」だった。

初めての装着はそこそこ難しく、

応対してくれた、ギャル曽根にそこはかとなく似た店員(以下、ギャル曽根と呼称)が言うには、

「初めての人はコンタクト入れるのに30分とか1時間とかかかる人もいて、

中には『私には無理!』って言って帰っちゃう人もいるんですよ~」

とのことだった。

へぇー、そんなもんなのか、と思いながら頑張っているとギャル曽根が、

「お客さん、目が大きいから多分大丈夫です! 頑張ってください!」

とか言うもんだからこっちもなんだか気分がよくなる。

オレは目が大きい! 誰がなんと言おうと目が大きいんだ。

結局、20分かそこらで両目をつけることに成功し、

「なかなかこんな短時間で付けられる人いないですよ~!」

ギャル曽根がダメ押しで褒めてくるので、気が良くならないわけがない。

頻繁に付けるかどうかはおいておいて、コンタクトレンズはここで買おう、

と思った瞬間であった。

 

よかったらコメントにいちご100%のヒロインで誰が一番好きだったか書いていってください。

それでは、また。

ふくらはぎの筋トレは冷え性を救うかもしれない

ある日、はてなブログスマホアプリからこんな通知が届いた。

「○○さんがあなたの半端な筋トレは冷え性を救わないにコメントを書きました」

これを見た時、あー、こんな記事を書いたなあ、と感慨深い気持ちになった。

なにしろ2年前の記事である。このブログ、なんともう2年もやっているらしい。

 

persona-kaza310.hatenablog.com

この記事を要約すると、

焼きたてジャパンを読んだ少年が、冷え性改善のために筋トレを志したけど、

結局冷え性は治らずに腹筋が割れただけだったよ、というものである。

相変わらず、冷え性は治っておらず、最近は寒くなってきて手先も順調に冷たくなってきている。

そんな折だ。↑の記事にコメントがあったのは。

よく見ると、1年前にもコメントがされていた。しかも結構重要そうなことが書いてある。

しかし私は見逃していたらしい。

社会人生活1年目の闇を抱えていた時期ゆえだろうか。

しかし、仕事をしていようが何だろうが、手先は冷える。

コメントをしてくださった方々は、一様に次のようなアドバイスをしてくれていた。

ふくらはぎを鍛えましょう。

はて、なぜ手先の冷えを改善するのにふくらはぎなのか。

焼きたてジャパンの河内は上半身のトレーニングで太陽のガントレットを身に着けていたじゃないか!

と思ったので、自分でもちょっと調べてみた。

そもそも冷え性は筋肉不足に由来するとのことで、

特に下半身に行った血液を再度、上半身へ送り出す機能が弱ければ、

それだけ全身の血行が悪くなり、血が廻らなければその個所は冷える。

そのため、ふくらはぎと太腿は血液を全身へ送り出すための

第二の心臓とでもいうべき役割を担っているのだという。

つまり、ふくらはぎを鍛えれば冷え性は改善される!

やったぜ。 

 

コメントをくださった方々、ありがとうございます。

これから数か月ほど、電車の中で立ったときとかにふくらはぎの筋肉を鍛えることに専念しようかと思う。

その結果については、またブログで発表することにしようかと思う。

 

サピエンス全史第2部(下)

 第2部はホモ・サピエンスが農業革命を経ていかに変化したかを語る章だ。

前回はこちら↓

 

persona-kaza310.hatenablog.com

 個々人ではさほど得をしないが、全体としては益をもたらした農業革命の中で、人類は次の問題に直面した。

それは、増えすぎたメンバーをいかに効率よく管理するかという問題だ。

これに対し、人類は次の2つの解決策を生み出した。

  1. 行動の規範となるルールの発明
  2. 文字、書記体系の発明

人員が増えれば、それを取りまとめるルールが必要になるし、ルールの正確性を期すためにも、何をしたのかを記録するためにも、後に残る形でしっかりと記録しなくてはならないというわけだ。

この発明により、人類は一定のルールに則って協力することが可能になった。

また、書記体系がルールを不変のものとすることで信用を加算し、かつ活動をする中で蓄積される膨大な情報を効率的に処理することが可能となった。

 

だが、人類が生み出したのは明るい概念だけではない。

集団が形成されていくにつれ、差別やヒエラルキーが現れるようになった。

一度現れたヒエラルキーは社会規範の一側面となり、それを逸脱することはひどく困難だった。そうなると、ヒエラルキーはさらに強固なものになり、結果的に差別や貧困に苦しむ大多数のヒエラルキー下層者と、それらから搾取する少数のヒエラルキー上層者という関係性が生まれることとなった。

 

感想

この本の感想というか、この形式でブログ書いていることに対してなのだが、なんだか飽きてきた。

本書の根幹は「存在しえない概念を生み出して信じて協力した人類スゲー」であり、それに沿った話が時代ごとに話が進んでいく形だ。

なので、章を読み進めて行っても異なる側面から結局は同じことを見つめ、同じ結論を得る羽目になる。

同じ物事を異なる側面から見るの面白いじゃん! という意見はあるだろうが、ブログという短い文章でまとめることを求められる形式だと結構つらい。

愚痴になってしまった。

そのため、次回からガッ、とまとめてお送りするかもしれません。

それでは、また。

サピエンス全史第2部(上)

さあ、またサピエンス全史だ。

余談なのだが、会社の昼休みにメモを取りながら読んでいたらかなり注目された。

私のメモの字の汚さにさらに驚かれたが、自分で読み返してみるとところどころ判読不明な個所があって笑ってしまった。

 

サピエンス全史の第2部は大まかに、農業が人類にもたらした影響と、農業で増えた人類が何を生み出したかについて語っている。

今回は、前者についてまとめる。

 

農業が人類にもたらしたもの

実のところ、個体のレベルで見ると、農業を始めた当初の人類にもたらされたメリットはほぼ無かった。

  • 栄養状態は量・質ともに狩猟採集民の頃より悪化
  • 運良く豊作でも、周囲からの略奪リスクが高まる
  • 過酷な重労働でヘルニアなどの疾患が現れる
  • 定住するようになったことで伝染病リスクが増大

 

ではなぜ、これだけのデメリットを負いながら人類が農業を選んだのか?

その理由は以下のようなものだと書かれている。

  • 努力すれば報われる(食料が安定して得られる)という未来への期待
  • 農業を数十年続けていく内に狩猟採集民としての暮らしを忘れた

 

しかし、農業が何のメリットももたらさなかったかというとそうではない。

先程、農業は個体のレベルではメリットをもたらさなかったと書いた。

個体の逆、つまり種のレベルであれば確かにメリットのある出来事だったのだ。

 狩猟採集民であった頃は、食料を得るために能力がなければ生き残ることが出来ず、個体数が少なかった。

しかし、農業に従事してからは、確かに個々人の栄養バランスや暮らし向きは悪化したが、最低限食いつなぐことのできる人口は増大した。

人口が増大するということは、それだけ種としての遺伝子の多様性が増えることになる。つまり、種として成功を収める、ということだ。

この多様性の創出こそが農業革命の肝であったとハラリは語る。

そして、増えた人類が何を生み出したのかについては、第2部の後半で語られることになる。

 

思ったこと:

経済学を勉強すると必ず、集団の最大幸福と個々の幸福のジレンマにぶち当たる。

各々が自分の幸福を最大化しようとすると、総量で見た時の幸福が減少してしまうというものだ。

こうした関係性は、農業革命が個々にとっては殆どメリットを与えず、しかし種としての成功をアシストしたという言説に色濃く表れているように見える。

それにしても、出来るだけ多くの人間を生かそうとすると、大半の人間は死人のようになる、とはなんと皮肉な話だろうか。

こんなことを考えるとふと、昔読んだ↓の記事を思い出す。

gigazine.net

興味のある人は読んでみてほしい。

ディストピアに惹かれる人であれば、きっと気に入るはずだ。

それでは、また。

サピエンス全史第1部(2)

前回、サピエンス全史という本の解説記事を書いたのだが、ちょっと反省しなければならないことがあった。

 

persona-kaza310.hatenablog.com

 この記事、実に3000文字近くあり、非常に長いのだ。やっている本人としては大学のレポートをまとめているみたいで楽しかったのだが、今の私にはもはや尊敬できる大学の教授はいない。

いるのはこのブログを見てくださる読者の方々のみなのだという事実を、もう少し直視しなければならないらしい。

と、いうわけで、今回は短めに行こうと思う。

 

狩猟採集民族としての人類

第1部後半の趣旨はこうだ。

農業を始める前、狩猟採集によって生きていた人類は果たして、どのように暮らし、文化を持ち、地上にどのような影響をもたらしたのか。

 

文化、とりわけ精神文化の面で言うと、分かっていることは殆どない。

というのも、この頃は文字はおろか、後のために何かを記録する技術すら発明されていなかったからだ。

 

だから、狩猟採集民だった頃の人類について知るには必然的に、物質的な側面に依ることになる。

現代人からすると考えにくいことだが、彼ら狩猟採集民の生活は次のような負の側面はあったものの、ざっくり言うと豊かであったらしい。

負の側面:

  • 暴力による横死
  • 自然の厳しさ故の欠乏
  • 生活に協力が求められるが故の、役に立たない・協力できない人間への排斥

正の側面:

  • 豊富な種類の食物由来の、豊富な栄養素(栄養の質で言えば農業時代とは比べ物にならないほど高い)
  • どれか一つの食べ物がダメになっても他のもので補うことが可能
  • 食物を探すために発達した肉体と知識(狩猟採集民だった頃の脳は現代人よりも大きいとすら言われている)

 

人類がこの地上で何をしたか

知恵やコミュニケーション、火で力をつけた人類はこの地上で何をしたか。その答えは次の通りだ。

通りがかる地域の大型動物を狩りつくした。

食料や毛皮を求めて人類が目ぼしい動物を狩り始めると、大型動物は繁殖のスピードが非常に緩やかなので、やがて狩りのスピードが繁殖を追い越してしまう。

こうしたサイクルを続けていくことで、体長が50センチメートルを超える大型の動物は、認知革命の頃には200属いたにもかかわらず、現代では100属まで落ち込んでしまったのだ。

 

まとめ・思ったこと

リョコウバトの逸話なんかを見る限り、人類って残虐で頭が足りないのだなァ、と思ったりしたものだが、祖先もあまりやっていることが変わらなかった。

また、狩猟採集民の豊かな暮らし、という記述を見ると、じゃあなんで農業なんて始めたんだ? なんで戻らなかったんだ? という疑問がわいてくるが、それは第2部で語られるらしい。このブログ記事を読んで、こんな内容なのね、と思って興味を持ってもらえたなら幸いだ。

それではまた、次の記事で。