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徒然すぎて草。

君に顔はいらない。

8時間の労働を数日経て思うこと

ライフハック(徒然)

残暑が厳しく、巷では台風がブイブイ言わせているこの9月初旬、

皆さまいかがお過ごしでしょうか。

私はと言えば、来年から本格的に働きだすことを踏まえて

インターンで何日か出勤しています。

朝の9時から夜の6時まで。昼休みは1時間。

ごく標準的で、法律的にも何の問題もない体系。

 

今回はその中で思ったことを記していきます。

1.ちゃんと飯作って家事やって、はものすごく疲れる

まずはコレ。これが一番キツい。

自分が作った飯の味が万全な時でもそんなに美味くないという事実はさておき、

  • 飯を作ることに回す頭の余裕が出てこない
  • 掃除とか洗濯はマジに二の次(普段こまめにやってるわけじゃないけど)

こうした物事が事実として横たわっている、そして頭の片隅にあること。

それそのものがなんだか精神的にくるわけですよ。

「なんだか自分に余裕がない」ことが分かるという精神的ショックです。

 

2.何をやるかなど明確に決めないと、時間があっという間に過ぎてもう寝る時間

これは良かった点と辛い点両方ありますね。

まず辛い方から言及すると、

ダラダラ過ごすことが出来なくなった≒思考を休めることが出来なくなった

ことが結構キます。

以前の私の過ごし方など酷いもので、

  • 7:30に起きる
  • 飯食って「とと姉ちゃん」を皿洗い片手間に見る
  • 一連の家事(気が向いたら)
  • 小説を書くか、twitter か FateGOを気付けば昼まで
  • 昼飯喰いながらアニメ消化
  • 小説を書くか、twitter か FateGOを気付けば夜まで
  • 日によってカードショップで大会
  • 晩飯
  • 酒を飲んで前後不覚になるか、twitter か FateGOを気付けば深夜まで
  • 就寝

情けなさのあまり死にたくなるんですが、これがまあ心地よいわけですよ。

バイトなど数か月も前にやめ、労働という概念が頭からすっぽり抜け落ちているものですから、

カード売買の利鞘でちまちま元手をプラマイゼロに近づけつつ(減らないとは言ってないし、堕天使ファンドには痛い目見ました)

バイトをやっていたころの貯金を切り崩して生活していました。

食材はなんだかんだ調達する伝手があるので買う必要もさほどなく、

買う必要がないのでバイトをしないという「自活能力のなさ」の権化。

(たぶん前世はニートかそれに準じるやんごとなき身分の方だし、

個人的には「平成の坂口安吾」を自称したい)

 

ただ、メリットもそれなりに大きいです。

それは、目的意識を持って時を過ごそうと思えるようになった点

必要以上にツイッターで時間を潰すということもさほどなくなり、

時間を有効に使いたいがために、歩いている間なんかも

積極的に小説の続きを考えるようになったりしました。

 

これによって小説思考の頻度が上がるため、

「これはいいかもしれない」というひらめきが降りてくる頻度も

また増えたように思えるので、目的意識が増したというのは

日々の暮らし的にも趣味的にもプラスと言えるでしょう。

 

3.カードゲームやる暇ないよ

コレ。

カードゲーマーとしてこれからも人生を面白おかしく生きていくぞ~

とはならない。

会社終わってから夜の大会行けばええやん!

そんな風に思っていた時期がありましたけれども。

  • そもそも6時に会社出てからでも行けて
  • そこから足を運べて
  • かつ翌日の業務に支障をきたさない

そんな夢のようなカードショップの大会はそもそも存在しないんだ。

私は夜はちゃんと寝たいので、帰りは遅くない方がよい。

となると、カーショの大会に出る選択肢はなおさらなくなる。

辛い。

 

4.カードゲームと小説を書くことの両立はほぼ無理。

コレは私だけかもしれませんが。

まず、カードゲームは正直、私は「勝ってナンボ」の趣味だと思っています。

勝つためには努力がいります。

その努力はそれなりのエネルギーと思考時間を費やします。

次に小説。

これも考える癖と書く時間、書き続ける体力が必要です。

身体は1つ。精神も1つ。

あちらが立てばこちらが立ちません。

 

ここで、冷静になって考えてみる。

カードゲームをいつの歳までやれるだろう?

……おそらく、TCGプレイヤーの平均年齢は年々、着々と微増していると思えます。

私がデュエマをやっていた頃(6年前)は、

親子連れで大会に参加する人もいましたし、

パパさん三、四十路DMプレイヤーなる存在もそれなりに

市民権がなくはない、程度の存在だったようにも思えます。

ですが、

私は結婚して子供を産み育てるなどという

精神的コストの要求されることをするつもりはなく、

1人で勝手に死にたいものですから、

このままTCGを続けていくと、

TCGくらいしか趣味を知らない妙にくたびれた中年男

が出来上がることは請け合いです。

ゾッとしますよ、コレはなかなかに。

 

なので、いつか終わりを来ることを考えると、

リソースの分配方法など、もう少し頭を使っていかないといけないように思えてなりません。

正直、考え続けるのは面倒ですから、

一番の解決札は「後先を考えない自殺」に落ち着きます。

が、

それではあまりにも安直ですし、どうなるか見てみたい未来もあります。

これからAIをはじめとした機械の進歩による労働環境の変化、

ともすれば多くの人間が職にあぶれる様が見られるかもしれない、

その時、どんな顔が浮かぶのか

と思うと、どうにも死ぬ気が失せるのです。

 

こうしたことを書いていると、

『リング』に出てきた高山のキャラクター性を思い出します。

高山は「世界の終焉でただ一人生き残り、終焉を見ながらその辺に転がっている岩に射精したい」などと宣うキャラなのですが、

そんなことをふっと思い出す私の精神の根本はやはり、

緩やかな自殺に向かっているのかもしれませんね。

「未来を見ること」を理由に使わないと生きていけないほどには、

生きる欲望がさほどないのかもしれない、そんなことを思います。