年の瀬のネタ供養
2016年も終わりつつあり、8月から始まった当ブログも、
もう少しで半年という節目を迎えました。
基本的に読んでも後に残らないような記事を書いてばっかりで、
こんなブログが情報源として役に立つのか、
人に読んでもらえるのかが心配になったのですが、
おかげさまで4万アクセスにまで届きました。
これも狂ったようにユキの記事を書き、
persona-kaza310.hatenablog.com
ネタにしかならないような記事を書いてきた私に
persona-kaza310.hatenablog.com
ついてきてくださった皆様のおかげです。本当にありがとうございます。
私がいつまでウィクロスをやっているのかは正直わかりませんが、
なるべく継続はしていきたいと思っています。
(新しくブログ開設するの面倒だしね)
今回は年末ということもあり、いままで書こうと思って結局お蔵入りにした
ネタ(アイデア未満)をリストアップしていこうかと思います。
水子に終わったネタの供養というわけです。
死んだ子の歳を数えるような薄ら寒い記事です。
- 「know」(野崎まど著)の読書レポと仏教の悟りについて
- ジョジョ第6部の終盤を読めば「悟り」がだいたいわかる
- 「百年の孤独」(ガルシア・マルケス著)の読書レポ
- 「クリぼっち」は宇宙でもっとも安定した「物質」である説~俺は孤独なんじゃない、物質的に”””安定”””しているんだ~
- オカルト界隈でちょっとにぎわっていた「2015年のクリスマスが世界最後だよ問題」が不発になった件について
- Lostrageの視聴レポート第3話~12話分。
- Lostrage考察(壺売り女の原点回帰とすず子の変容という観点から)
こうして見るとあんまりウィクロスのことを考えていないのがよく分かりますね。
ちなみに7番のネタは簡単に言うと、
物語の原則である「A地点からB地点へ旅をし、主人公は変化を携えて帰還する」
という構造に照らし合わせると、
すず子と千夏はセレクターバトルと里見という旅路と困難を乗り越えることで、
すず子は「優柔不断で思い出に妄執する少女」から「思い出を守るために戦う強い少女へ」、
千夏は「変わりたいけど変われない自分→壺売り女→すずを独り占めしたかったという自身の欲望に気が付いて原点回帰」
という変容のプロセスを辿っており、
ちゃんと物語は作られているということが言いたかった。
Lostrageへの感想で散見された「茶番なのでは」という説に、
「そこまでこき下ろすほどか?」と
意見を出したいな、と思っていた次第でありました。
Lostrageは千夏を中心に展開した話で、当の彼女本人がかなり道化であるせいで
茶番に見えるのはまあ仕方ないのですが、劇中で里見が「茶番」発言をしているあたり、
この物語を茶番であると断じるのは、それはそれで思考停止なのではと。
千夏がMONSTERでいうところのエヴァ・ハイネマンだったらちょうどよかったのかもしれないんですけどね……
(エヴァ:MONSTERの主人公・Dr.テンマの元婚約者にして、テンマを無実の罪にはめた1人だが、その後人生の下り坂を転がったのを機にテンマを逆恨み、後を追うようになる。
クリスマスの夜に不倫相手の家にプレゼントを持って行った際に幸せな家庭像を見せつけられ激昂、自棄になって自身の家を燃やしてホームレスとなる話が私のお気に入りです)
妙にオカルト関連の話題がネタ供養に上がっていますが、
これは気が向いたらそのうち上げます。
日々、「死ぬまで生きていなければならない」
「いつまで生きていなきゃならねえんだ」という情念が頭の半分を満たしている
私にとって、無を目指すプロセスは非常に魅力的に映るのですね。
認知の面からいくと、ただの花に地獄を見ているというだけなんですが。
そうそう、認知といえば、悪徳にまみれたこの世界はまさしく偽神が作ったのだ、
とするグノーシス哲学にも興味があります。
最近だとペルソナ5にも取り上げられたそうで。
これもそのうち取り上げたいですね。
2017年も頑張っていきますね。
それでは。