徒然すぎて草。

君に顔はいらない。

心理学的に見る、ヒトに取り入る方法

皆さんは新興宗教の勧誘というものを受けたことはあるだろうか。

私はある。

私がホームとする東京都(神奈川県ともいう)町田では、かつて、

数々のカードショップやアニメイトゲーマーズに、

新興宗教の勧誘がうようよといたのだ。

店側も問題視したのか「声かけ禁止」といった張り紙をしていたのを覚えている。

ああいう連中がカモにしようと考えるのはたいてい、

辛気くさい表情か幸薄そうな顔をしている人間で、

彼らのアンテナに私という人間はずいぶんと引っかかったようである。

一時期はアニメイトに行けば声をかけられるといった具合だったから

釣り堀もかくや、入れ食い状態である。

これがカワイイメンヘラ風味のお姉さんだったら私も遊び半分で付き合った……

かもしれないが、残念ながら話しかけてきたのは

これまた辛気くさい面をしたチビハゲデブの中年男か、

雰囲気イケメンの若い男くらいのものだった。

前者は話しかけるのも穢らわしいといった感じで相手にしなかったが、

後者に関してはサシでいくらか話したことがある。

今回はその時の経験について、ヒトとのコミュニケーション技術について語ろう。

受け入れられやすい外見を心がけ、下心は秘中の秘にせよ

そもそも、なぜ私が雰囲気イケメンの若い宗教勧誘男と話をすることになったのか。

これについて語ろう。

きっかけはとあるカードショップで話しかけられたことだった。

「友達が○○をやっていて、自分もやってみようと思っている。自分にはあまりそういう友達がいないから、勇気を出して君(つまり筆者の私)に話しかけてみた」

といった趣旨で話しかけてきた。

当時の私はそれを信用した。

全てを知っている今の私からすれば、こんな不思議なことはないのだが、

思い返せば彼はいくつかのポイントを押さえたコミュニケーションを図っていた。

それらの要素を順に箇条書きにしておこう。

  1. 雰囲気イケメンの、「コイツとだったら話してもいいな」という外見
  2. こちらの知っていることを喋らせ、聞く側に徹する
  3. こちら(つまり我々)の知っていることをあえて間違えてみせる
  4. 宗教の勧誘であることを悟らせない

まず1に関して。

人は見た目が9割という。まさにその通りだ。

見た目の清潔さや洗練された印象というものは想像以上に人の心の戸を開ける。

人間の情報の大半が視覚によっている以上、

コミュニケーションを満足に取るには好印象を与える外見を心がける必要がある。

その点で言えば、「彼」は及第点だったと言える。

2に関して。

人は教える、話を聞いてもらうということに快感を覚える生物だ。

よく、恋愛ノウハウには「女は話を聞いてもらうのが好き!」と書いてあるが、

私はこれは程度の差はあっても男女で根本は変わりないと思っている。

自分の知っていることを相手に話すということは、

相手と少なからず知識を「共有」したいということであり、

その上で相手からの共感を得られればテンションは上がっていくだろう。

思い返せば私のテンションは上がっていた。

3に関して。

わざと間違えるというのは一見、失礼な行為に思えるだろうが、

裏を返せば、「間違った知識を持っている相手に教えてあげよう、訂正したい」という

心理的優越感を与え、心を開きやすくする効果があるように思える。

これを2に絡めて話を聞き、共感することで人の心に踏み込んでいくことも

ある程度容易になるはずだ。

思い返せば私は見事に術中にはまっていた気がする。

恥ずかしい限りだ。

4に関して。

何か狙いをもって人と話をするときに有効な技術になるが、

下心は極限まで隠すのが望ましい。

理想は「気がついたらそんな話をしていた」くらいの感覚がいい。

利益を想起させ、条件を出し、邪魔な要素を排除しよう

以上のプロセスで「彼」と意気投合した……と調子に乗っていた私は、

更なるステップに進むこととなった。

「彼」は言った。

「喫茶店にでも入ってお茶でも飲もうか? 大丈夫大丈夫、俺のおごりだし自分から誘ったんだから全然気にしないで」

この時、私は正直言って怪しいぞコイツ、と思い始めていた。

なぜなら、カードショップで袖を振り合った程度の相手に2時間足らずでカフェ、

これはどう考えても怪しいのだ。

だが。

今までの意気投合ぶりを嘘であったとは思いたくない……という心理が働いていた

のかもしれないと今では思う。

人間は相反する考えをそのまま受け入れられるようには出来ていない。

意気投合ぶり

怪しさ

この二つの矛盾する要素を前に、普通の人間が出す結論などたかが知れている。

「とりあえず話だけ聞くか」

程度の考えだ。確か、同じようなことを「彼」も言っていた。

こうした一連の流れのポイントは次のとおりである。

  1. 人目につく場所からサシで話すように仕向けて邪魔を排除する。
  2. 理由付けをすることで相手に思考を挟ませない。(相手の責任にしない)
  3. 飲食にしろなんにしろ、利益を提示する。(コミュニケーション自体を楽しいと思わせられているのならあまり必要はないかもしれないが)

これら3つだ。

 

恐怖を与え、解決策を提示しよう

カルトの洗脳手法、ここに極まれり、だ。

カルトや新興宗教に限らず、世界のあらゆる宗教や思想には、

滅びの概念や不利益のリスクへの警鐘が強く込められている。

キリスト教を始めとした聖書を源流とする各宗教には、

地獄の概念と黙示録によって提示される裁きの情景がある。

大乗仏教には地獄道が語られ、そこから脱するには本人はもちろんのこと、

遺族が経を唱えることで死者が苦しみから救われると説く。

・アメリカのキリスト教原理派なカルト宗教はよく、

終末論による恐怖と閉鎖空間でのイニシエーション体験を通じて

信者の心をつかむ手法が使われる。

・変わり種だと、アメリカの「ゾディアック」模倣殺人事件では、

とある男の語る終末論を真に受けた女たちが、男の指示に従って

資産家一家を殺害したという実績がある。

・水素水を始めとした健康食品ビジネスも、

不健康と病という恐れを解消するべく生み出された思想的ビジネスだ。

 

こうして見ると世界はカルト的思想に満ち溢れているし、

世の中に宗教チックでない思想など何一つないのではないかという気すらしてくる。

こういう話は単なる知識として知っているとただそれだけで終わってしまう……

のだが、想像して見てほしい。

もし、ある程度信用し、それまで楽しく話をしているだけだった相手の口から突然、

心を不安にするような物事が飛び出して来たら……

終末論に限らず、資産が危ないとか健康でなくなるとか、

そう言う話は枚挙にいとまがない。

そして、仮に、そういう不安を突き付けられた時に、

「代わりに××をすれば事態を回避できる」

的なことを言われればどうか、という話になる。

多くの人間は明日も太陽が昇っては沈み、それが永遠であるものと信じている。

そうした常識を少しでも揺さぶられ、思考に空いたわずかな隙を突かれれば……

それなりの割合の人間が落ちるのではないかな、と思う。

もちろん、いままでのステップを全てちゃんと踏んだ上で、だ。

私の経験で言えば、

「彼」が話していたのは仏教的世界観における終末論だった。

なんと彼は宗教団体の新聞まで持ち出して熱心に説明を始めたのだ。

 

知識は洗脳まがいのコミュニケーションに引っかからないための最大の武器

私が当時を思い出して笑い話のようにできているのは、

結論から言って宗教に引っかからなかったからだ。

では、なぜ引っかからなかったのか……というと、

それはおそらく、

  • 「終末論を見飽きていた」
  • 「宗教を一つのネタとして消費するマインドがあった」

からだと思う。

当時通っていたのはミッションスクール系で、

配られた聖書を元にミサをやるような学校だった。

私はあまり説法の部分には興味がなく、ひたすら「ヨハネの黙示録」を

読みこなし、そこからの興味を元にオカルト文献を読み漁っていたから、

当然、終末論に触れる頻度は一般の人間より高かったのだ。

そうした終末論に対する「知識」は奇しくも、

新興宗教の魔の手から私を守ってくれたように思える。

それに、当時、通っていた学校では

一人の同級生がクラスでのストレスを理由に地元の学校へ転校したという

小さな事件があった。

こうした出来事を元に、

「神様は偉そうなことを言うけど、人間1人助けやしないんだな」

と宗教を軽く見るようになった覚えがある。

どんな思想も人間の根本的な問題を解決しないのだ。

それがたとえ、どんなに心に刺さっていたとしても、だ。

思想に信奉する人間の頭の中には、

その思想を信じているおかげで人生が少しでもマシになっている、

という解釈が存在するのみである。

こうしたことを知っておけば、世の中の大半のことは冷めた目で見られる。

どうでもいいと思えるから、信じるに値しないことだと思える。

こうしたマインドはそのままでは決して人間関係を豊かにしないが、

技術としてのコミュニケーションを真面目に使えばおそらく、

相手から信用されることはそれなりに可能なのではないかと考えている。

よかったらこの記事をコミュニケーションに活かしてみてください。

成功報告をしていただけると大変励みになります(何の)。

 

……私がこうした技術を使っているかどうか、ですか?

全部、どうでもいいよ。