徒然すぎて草。

ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん

小説のシナリオを追っていく記事って需要ある?

どうも、何日かぶりです。

最近は読書にすっかり火が付き、ひたすらに読んでいます。

春から社会人ですし、こんなに時間を読書に使える期間ってさほどないですからね。

この記事を読んでくださっているあなたはどうでしょうか。

学生? それとも社会人?

このブログのメインコンテンツ(かどうかは少し怪しいが)である

ウィクロスのプレイヤーの年齢層はかなり分厚いので、

あまり焦点を絞れませんね……

閑話休題

本題に入りましょう。

あなたは、

「この小説、読んでいて筋が追いにくいなあ」

と思ったことはありますか?

私は結構そういう経験があって、

物語に全然集中できない状況がザラなんですが、どうでしょうか。

この傾向は海外SFだと割と顕著な気がしていて、

(訳者との相性もあるかもしれませんが)

名作だと知られる

ニューロマンサー

アンドロイドは電気羊の夢を見るか?

ディファレンス・エンジン

あたりにかなり苦戦していました……。

(近年の作品だと「明日と明日」という小説も割とそんな感じ)

こうした名作たちはある種、教養みたいなところがありますから、

他の人と話をするときに、本を読んだ上で内容が咀嚼できていると

けっこう話ができると思うんですよ。

そもそも、小説が教養になりうるかについては、

1984年」という小説が「英国人がもっとも『読んだフリ』をする本トップ10

にランクインしていた、という事実からもうかがえます。

(出典:『1984年』(早川書房)あとがき)

読んだフリをしたい人たちの虚栄心は一旦、置いておきます。

私がこの記事で問題にしたいのは、

せっかく読んでいるのに、全く血肉にならない

という読書をする上でのもったいなさです。

想像してみてください。

小説というものは1000円弱し、読むのにそれなりの時間を食います。

自分で興味を持って買ってみたものの、

なんだかよく分からないなあ、と思いながらページを無理くり進め、

最後のページまでは行きついた……

が、結局これはなんだったの? と思ってしまう際の虚しさを。

悲しすぎますね?

一応、「自分はソレ読んだことあるぜ!」「すごーい!」

とはなるかもしれませんが、

「どんな話だったの?」と聞かれて

「たーのしー!」

ではお話になりません。

「あなた、筋は追えまして?」「いえ……」

「テーマは分かりますの?」「ええっと……」

「じゃあ、楽しめはしたの?」「うう……」

あなた、なんにも読めてないのねぇ」では悲しすぎます。

じゃあ、こうした読書ごっこの悲しみを払拭するためには

どうしたらいいだろうな、と考えるわけです。

すると、一つだけ浮かんできたわけですよ。

「ネタバレすればいいんじゃね?」と。

……。

反応は、何となくわかりますよ。

それじゃあ小説を読む意味がないじゃない、と。

ですが、本当にそうでしょうか。

一つ、例え話をしましょう。

ある日、キリストが街を歩いていると、

人々が一人の男を石打ちにしている現場に出会った。

キリストは石を投げている一人に尋ねた。

「あなたはなぜあの人に石を投げているのですか」

すると、彼はこう答えた。

「あの男は、けものフレンズのネタバレを街に吹聴したのです」

キリストは言った。

それは許されない……。確かに、ネタバレは物語の楽しみを失わせます。ですが、他人の意見を全く参考にせずに、あなたは全ての物語の筋を理解できましたか?」

男はわずかな逡巡の後に答えた。

「いえ、『グラスリップ』の『唐突な当たり前の孤独』のくだりはちょっと……」

さらにキリストは言った。

「そこで、あなたはどうしましたか。人類には早すぎたアニメとして見切りましたか」

男は目を逸らして答えた。

「いいえ。NAVERまとめでなんとか理解を……」

キリストは手を広げて言われた。

「この中で、誰にも頼らずに物語を完璧に理解できたと思う者のみ、この人に石を投げなさい」

誰も、石を投げなかった。

キリストも投げなかった。

彼もまた、「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」のネタバレを読んで

物語の筋を理解していたのである。

……。

とまあ、こんな感じの例え話なんですが。

ネタバレって絶対悪ではないと思うんですよね。

一人の力で全てを理解するなんて不可能なわけですから。

世の中には自分よりも読解力に優れた人が絶対に居て、

その人が歩いてきた道を通っていけば、同じとは言わないまでも

似たような景色にはたどり着けると思うんですよ。

自分一人で歩く道を開拓していこう、という行動も尊いものですが、

それに疲れて足を止めてしまうのでは本末転倒だと、私は思います。

ある程度、踏み固められた道を歩いて、足腰が鍛えられたら興味に従って

新しい道、つまり新しい解釈を模索する、ということも十分アリじゃないかな、と。

そうでなくても、「読んだフリ」をしたい、という人のために

最短経路を記しておくのも、需要があるならそれはそれで……と思います。

そうじゃなかったら「ストーリーを教えてくれるスレ」や、

それをまとめたwikiも存在しませんしね。

また、こうしたスレは漫画やゲーム、アニメの方面では充実していますが、

小説となるとあまり数がないんじゃないかなあ、と思っています。

数が少ないのはただ単純に手間であったり、

小説の楽しみ方とその他メディアの楽しみ方では少し違う?

といった部分も関係するかと思いますが、

少なからず、需要はあると思うんですよね。

理想は一冊レベルじゃなくて章単位でマイルストーンを立てていく感じの。

近頃、それをやっていこうかなーなんて思っています。

 

それでは、また次の記事で。