徒然すぎて草。

君に顔はいらない。

ランナーズハイな人生

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ランナーズハイという言葉をご存じだろうか。

最初は苦しくても走っていくうちにある時点を境に脳内麻薬が分泌され、

徐々に気分が高揚してきたり、気持ちよくなっちゃうアレである。

これはランニングだけでなく仕事を連続してやっている人にも起こるらしく、そちらはワーカーズハイと呼ばれている。

要は、身体に負担のかかることをしていると、人間の脳はそれを苦痛と感じさせずにむしろ落ち着くための挙動を取るのである。

苦しいことを長く続ける≒それが快楽である

という意味付けを脳が欲しているのか、

それとも別な理由があるのか、

いずれにせよランナーズハイの仕組みを初めて聞いたとき、

人体とはうまく出来ているものだと感心した。

それと共に、私にこの状態が訪れるのはいつのことなのだろうとも思う。

生きづらさとでも呼ぶべき感覚が心中を絶えず渦巻いており、

それは確実に、人生に苦痛のイメージを結び付けさせている。

 

かつて人類が明日の暮らしにさえ不安を抱えていた頃は、

神の存在と死した後の楽園が心の支えになっていたようであるが、

今の時代、人類が神の存在を信じるにはもはや歳を取りすぎた気がする。

さらに言えば、私の神的存在に関するスタンスはグノーシス主義に近い。

かじった程度の知識で申し訳ないが、グノーシス主義の観点は次のようなものである。

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もし神が伝承通りの全知全能であるとしたら、彼(または彼女)が作った世界は完璧なはずである。

しかしながら、この世界には罪悪と苦しみにまみれており、完璧とは到底言い難い。

ゆえに、この世界を作ったという神は完璧ではなく、偽者である……

(ちなみに、この偽の神はデミウルゴスとかヤルダバオートとか言われる)

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グノーシス主義まで持ち出して何が言いたかったかというと、

縋るべきモノなどとうにないという話である。

もう少し純粋であったなら私はブログ記事を書かずに教会で祈り、信心深い生活を送っていただろう。

 不安を抱えていることを自覚しているのに寄る辺はなく、

苦行を積み重ねていることに理解を示す存在は自身をおいて他にない。

ランナーズハイはある期間を境に脳内麻薬を分泌することによって起こるという。

なら、それはいつだ?

私が生きていることそのものに快楽や精神的充足を覚えるのはいつのことになるのか?

明日なのか、それとも十年後か。

しかしながら、電車の中を見ても一人として充たされた表情の人間を見かけないあたり、

人生に私の期待する瞬間が訪れることはなさそうであるという諦観だけは存在する。