オタクに一般人とのカラオケは難しい
今日、なんやかんやあって職場の人(オタクじゃない、一般人だ)とカラオケに行くことになった。
すると、ある重要な事実が鎌首をもたげるのだった。
歌える曲がない
私自身はカラオケに行くのが好きだし、時間さえあれば週に一度はヒトカラに行ったっていいくらいのマインドである。そのため、実際に二週に一度くらいのペースで近所の古びたカラオケボックスに通っては一時間半ほど歌っている。
こちらは店員の顔を覚えているし、店員も私の顔を覚えていることだろう。深淵を覗くとき、深淵もまたこちらを覗いているのだ。
一人のカラオケはいい。「さくらんぼキッス」だって裏声で歌えるし、真夏に中島美嘉の「雪の華」を歌うことだって出来る。初っ端からこの腐敗した世界に落とされたことについて嘆き、その後、DV彼氏の陰におびえる女の心情を歌うことも出来る。
だが、これを集団でいるときに、まして一般人といるときにやるのは非常に危険だ。頭のおかしい人か、ちょっとメンタルを故障してしまった人だと思われる。
私のレパートリーはだいたい、以下のパターンに分かれる。
・親の横で聞いていた福山雅治
・高1の頃からハマったBUCK-TICK(分からない人はアニメ「屍鬼」のOPを聞こう)
・一時期なぜか練習していた島谷ひとみ数曲
・歌い慣れてしまった鬼束ちひろの「月光」、「眩暈」
・ポルノグラフィティ数曲
・その他の曲(アニメ曲が大半)
当然、このレパートリーでは福山雅治、辛うじて島谷ひとみが分かってもらえるくらいになる。
鬼束ちひろの「月光」は有名だが歌うとちょっとマズい(今日、歌うぞ!? 歌いますよ!? と言ったら全力で拒否された)。
また、福山雅治も今でこそ大御所と化している感はあるが、じゃあどんな曲が知られているかと言うと、あまり知名度がある印象がない。これはファンクラブ会員の母の談だが、「福山雅治ぅ? 桜坂でしょ?(笑)」と、バカにされたような反応をされることが多いのだという。
ちなみに最近の福山雅治はとりあえずビールだとか、攻めとか受けとかについて歌っている。詳しくは「とりビー」とか「聖域」を聞いてほしい。おそらく、とりあえずビールとか言っていた時期は疲れていたのだろうと思う。あと、「HUMAN」もいい。
そんなこんなで、一般人様よりカラオケで過ごしている時間が長いにもかかわらず、私には一般人様と同席する高々2時間かそこらのカラオケを乗り切るだけのレパートリーもないのである。
付け焼刃の米津玄師やスピッツも出来なくはないが非常に苦しい。
前者は「LOSER」しか歌えないし、後者は「ロビンソン」しか音程が出ない。
そして最後の砦は「壊れかけのRadio」だ。いつの時代だよ。
また、季節性の問題もある。
真夏に「雪の華」を歌うのは狂気の沙汰に等しい。
真冬に「ミュージック・アワー」を歌えば「オーストラリアにでも行ってきたの?」と聞かれること必至だろう。
あと、季節を明言していないがなんとなく春・秋っぽい曲も存在して、その辺を気にしだすとキリがない。
その点、アニソンなどはシチュエーションが限定されてでもいない限り、年中歌うことのできる万能さが非常に重宝する。僕らはいつだってレールガンを放つことが出来るし、乾いた心で駆け抜けることが出来るのだ。
こうした歌えるレパートリーがない人間の苦悩は、他の人が歌っている時間にも続く。
周りが知っている曲が分からない
これは今日、何度もあったことなのだが、「あー! ○○! 中学の時に流行ってた!」と他の人が反応しているのを見て、私は一人首をひねる。
何をどう思い出してもそんな曲が流行っていた記憶がないのだ。
その人とと自分は2つ程度しか歳が変わらない。であれば、知っていてもおかしくはないはずなのだが、やはり知らないものは知らない。
そして、私が怪訝な顔をしているのを周りが見てそのうち、「どの曲ならコイツは知っているのかテスト」が始まる。当然、私は知らない。歌手やグループの名前には見覚えはあるが、フレーズはどれも馴染みのないものだった。
こうしたことが何回か続いていくうち、一つの疑念が浮かんだ。
私は山にでも籠っていたのか?
そうでもなければ説明がつかない。
だが、どう考えても山で人と話すことなく暮らしたいと思うことはあっても、実際そうしたことはかつてなかったし、なぜか練習していた島谷ひとみの曲は大学のレポートを書きながら聞いていたのだ。
早い話、私が山に籠っていたかどうかなどというトンチキなことを考えるよりもまず、一般人が興味を持つ部分に、私が興味や関心を殆ど示さずに生きているのが原因である。それ以上でもそれ以下でもない。
周りがAKBやら流行りのバンドやらを聞いている間にBUCK-TICKの「惡の華」を聞いていたし、クラスの連中が何かしらのドラマを見ている間に、私は「佐天さんは俺の嫁!w」とか言っていたのである。
一般人様とのカラオケの席にいるためには、これらの態度を改めなくてはならなさそうだ。無理である。それが出来たらとっくにそうしている。
私にできるのはせいぜい、メジャーどころがアニソンを出しているところから徐々に掘っていくくらいである。
カラオケのその後
ふと、私は思い切って聞いてみた。
「実際、聞いてみて『ヒトカラが趣味』とかいう割にコイツ大したことねーなとか思われていたらショックなんじゃが」
これに対し、同僚は言った。
「ヒトカラ行ってるだけあって、やっぱり上手いなって思うことあるよ。でもその腕は鬼束ちひろじゃなくてもっと別なところに生かすべきだと思う」
圧倒的正論である。今後、一般人に受け入れられやすいレパートリーづくりが必要であると強く感じた一日だった。
近頃、椎名林檎でも練習するかと思っていたが、その方針は転換した方がよさそうである。