歓迎会と福利厚生のブルース
早速歓迎会の幹事をやらされたマン
ついこの間、大学の同窓会に行って、「同じ大学出身者の多い大企業に行った奴は飲み会の幹事とかやらされて大変だなぁ~!」とか思っていたら、職場に新しく来た人の歓迎会の幹事を任された。
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即堕ち2コマもいいところであるが、いくら面倒だと言っても歓迎をしないわけにはいかない。忌み子のような扱いをするのは簡単だが、そうして捨てられた誰も彼もが飛影のように村を焼き払わない選択をしてくれるとは限らないからだ。
そうなると、問題は店選びになる。
人間というものはとかく面倒で、やれ酒は多いのか、やれおいしいところがいい、落ち着いたところがいい、駅から近いところがいい、と、婚期を逃した人間と同じくらい面倒なことを言う。
どうせ酒に酔えば味の違いなんて分からないし、勝手に動物園になるし、駅から近かろうが終電を逃せば同じことになるのにだ。
そして、何よりも金にうるさい。
どうやらこうした会社での会の相場で言うと、適正価格は3000円台といったところだろうか。もっと安いところもあるかもしれない。
しかし、私が今回任された会は一味違う。
なんと社長を含め取締役クラスが3人も来るのだ。
これは今吹っ掛けないでいつ吹っ掛けるというのだろう。
とはいえ、個人的に恨みを買う形で吹っ掛ければ私の首が飛ぶことは必定である。いくら今の仕事に金払いが見合っていないと多少感じていても、明日から無職になることはさすがに望んでいない。
となれば、何か裏をかいてミッションを遂行するしかない。
汚いことをやるには制度を利用する
会社員は多くの場合、クソに額を擦り付け、クソを噛み締める様な生活を送っているわけだが、そんな人種にも仏が垂らした蜘蛛の糸がごとき一筋の光明がある。
経費だ。
この言葉があれば、印籠をかざした水戸黄門のように大手を振って、会社に向けて吹っ掛けることが出来る。会社と言えど制度上は仮の人格を持った法人であるので、これはもう実質、他人に対して吹っ掛けたのと同じような効果を得られることは間違いない(お前もその一部だろうが! という意見はあるがそれはそれ)。
とはいえ、経費申請という言葉が全ての扉を開く魔法の言葉だったのは四半世紀も前の話だ。その頃は「象1頭、1000万円也」と書いても通ると言われた程だというが、今を生きる我々には想像もつかない世界である。
今、現在を生きる我々は、バブリーな頃の人間とは違うので、ことを慎重に進める必要がある。そこで、私は情報収集をすることにした。
風見「今度、Dさん(歓迎される人)の会で取締役勢に吹っ掛けようと思うんすよ(笑)キャッキャッ」
Dさん「えっ、この会社ってこういうことに経費とか出ないの?」
風見「むしろ出てたんですか?」
Dさん「一人頭5000円くらい出してた気がするよ」
これはいいことを聞いた気がする(サンプル数1人)。
そうと決まれば話は早い。早速、経理の人間にウチはどうなっているか聞いてみるのだ。
~数分後~
Dさん「どうだった?」
風見「ノーマネーで、フィニッシュです……」
福利厚生と個人のあいだ
私の何がいけなかったのだろうか。そもそもスタート地点から間違っている気がするが。
調べてみると、歓迎会を経費で落としている会社とそうでない会社の違いはやはりあるらしい。
では、どのような基準で決めているかというと、「その歓迎会が会社の福利厚生として成り立つか否か」なのだという。
福利厚生の観点で言えば、その恩恵に全員があずかる機会があるかどうかという点が重要になってくるが、そう考えると、関係のある一部の人間しか出席しない歓迎会に会社が経費として金を出してくれる道理はないことになる。
つまり、私の賭けは賭けになる要素もなく、はじめから終わっていたということだ。
皆さんもこうした制度について知っておくと、こうしたかなしい思いをすることが避けられるかもしれない。
この記事がその一助になれば幸いである。
それでは、また。