サピエンス全史第1部(2)
前回、サピエンス全史という本の解説記事を書いたのだが、ちょっと反省しなければならないことがあった。
persona-kaza310.hatenablog.com
この記事、実に3000文字近くあり、非常に長いのだ。やっている本人としては大学のレポートをまとめているみたいで楽しかったのだが、今の私にはもはや尊敬できる大学の教授はいない。
いるのはこのブログを見てくださる読者の方々のみなのだという事実を、もう少し直視しなければならないらしい。
と、いうわけで、今回は短めに行こうと思う。
狩猟採集民族としての人類
第1部後半の趣旨はこうだ。
農業を始める前、狩猟採集によって生きていた人類は果たして、どのように暮らし、文化を持ち、地上にどのような影響をもたらしたのか。
文化、とりわけ精神文化の面で言うと、分かっていることは殆どない。
というのも、この頃は文字はおろか、後のために何かを記録する技術すら発明されていなかったからだ。
だから、狩猟採集民だった頃の人類について知るには必然的に、物質的な側面に依ることになる。
現代人からすると考えにくいことだが、彼ら狩猟採集民の生活は次のような負の側面はあったものの、ざっくり言うと豊かであったらしい。
負の側面:
- 暴力による横死
- 自然の厳しさ故の欠乏
- 生活に協力が求められるが故の、役に立たない・協力できない人間への排斥
正の側面:
- 豊富な種類の食物由来の、豊富な栄養素(栄養の質で言えば農業時代とは比べ物にならないほど高い)
- どれか一つの食べ物がダメになっても他のもので補うことが可能
- 食物を探すために発達した肉体と知識(狩猟採集民だった頃の脳は現代人よりも大きいとすら言われている)
人類がこの地上で何をしたか
知恵やコミュニケーション、火で力をつけた人類はこの地上で何をしたか。その答えは次の通りだ。
通りがかる地域の大型動物を狩りつくした。
食料や毛皮を求めて人類が目ぼしい動物を狩り始めると、大型動物は繁殖のスピードが非常に緩やかなので、やがて狩りのスピードが繁殖を追い越してしまう。
こうしたサイクルを続けていくことで、体長が50センチメートルを超える大型の動物は、認知革命の頃には200属いたにもかかわらず、現代では100属まで落ち込んでしまったのだ。
まとめ・思ったこと
リョコウバトの逸話なんかを見る限り、人類って残虐で頭が足りないのだなァ、と思ったりしたものだが、祖先もあまりやっていることが変わらなかった。
また、狩猟採集民の豊かな暮らし、という記述を見ると、じゃあなんで農業なんて始めたんだ? なんで戻らなかったんだ? という疑問がわいてくるが、それは第2部で語られるらしい。このブログ記事を読んで、こんな内容なのね、と思って興味を持ってもらえたなら幸いだ。
それではまた、次の記事で。