徒然すぎて草。

ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん

サピエンス全史第2部(上)

さあ、またサピエンス全史だ。

余談なのだが、会社の昼休みにメモを取りながら読んでいたらかなり注目された。

私のメモの字の汚さにさらに驚かれたが、自分で読み返してみるとところどころ判読不明な個所があって笑ってしまった。

 

サピエンス全史の第2部は大まかに、農業が人類にもたらした影響と、農業で増えた人類が何を生み出したかについて語っている。

今回は、前者についてまとめる。

 

農業が人類にもたらしたもの

実のところ、個体のレベルで見ると、農業を始めた当初の人類にもたらされたメリットはほぼ無かった。

  • 栄養状態は量・質ともに狩猟採集民の頃より悪化
  • 運良く豊作でも、周囲からの略奪リスクが高まる
  • 過酷な重労働でヘルニアなどの疾患が現れる
  • 定住するようになったことで伝染病リスクが増大

 

ではなぜ、これだけのデメリットを負いながら人類が農業を選んだのか?

その理由は以下のようなものだと書かれている。

  • 努力すれば報われる(食料が安定して得られる)という未来への期待
  • 農業を数十年続けていく内に狩猟採集民としての暮らしを忘れた

 

しかし、農業が何のメリットももたらさなかったかというとそうではない。

先程、農業は個体のレベルではメリットをもたらさなかったと書いた。

個体の逆、つまり種のレベルであれば確かにメリットのある出来事だったのだ。

 狩猟採集民であった頃は、食料を得るために能力がなければ生き残ることが出来ず、個体数が少なかった。

しかし、農業に従事してからは、確かに個々人の栄養バランスや暮らし向きは悪化したが、最低限食いつなぐことのできる人口は増大した。

人口が増大するということは、それだけ種としての遺伝子の多様性が増えることになる。つまり、種として成功を収める、ということだ。

この多様性の創出こそが農業革命の肝であったとハラリは語る。

そして、増えた人類が何を生み出したのかについては、第2部の後半で語られることになる。

 

思ったこと:

経済学を勉強すると必ず、集団の最大幸福と個々の幸福のジレンマにぶち当たる。

各々が自分の幸福を最大化しようとすると、総量で見た時の幸福が減少してしまうというものだ。

こうした関係性は、農業革命が個々にとっては殆どメリットを与えず、しかし種としての成功をアシストしたという言説に色濃く表れているように見える。

それにしても、出来るだけ多くの人間を生かそうとすると、大半の人間は死人のようになる、とはなんと皮肉な話だろうか。

こんなことを考えるとふと、昔読んだ↓の記事を思い出す。

gigazine.net

興味のある人は読んでみてほしい。

ディストピアに惹かれる人であれば、きっと気に入るはずだ。

それでは、また。