徒然すぎて草。

ねだるな、勝ち取れ、さすれば与えられん

徒然すぎて草。

…………ヴゥゥ――ンンン――ヴゥーッ、ヴゥーーッ…………。

こうした小刻みな振動が胸元で起きたことで、私がウスウスと目を覚ました時、列車はまだ目的地に着いていないことに気が付いた。車内の電光掲示からまだ時間があると察すると、目覚める原因となった胸元のスマートフォンを手に取る。

ロック画面に記されていたのは、女性からのLINEのメッセージ。

「そろそろ家を出るね!」

そう、私は今日、女の子と美術館へ行く約束をしているのだ。

 

朝のことが思い出される。

目覚ましが鳴るや否や洗面所の鏡の前に立ち、己の顔を見やる。寝起きの妙に癖のついた頭髪、長年染みついたクマのせいで落ち窪んで見える眼、いつもながらの私の影法師が覗き込んでいるばかりであった。

これではいかん、と、顔を洗っていると、水音の向こうに金属質な音が聞こえてくる。はた、と周りを見遣っても何も気配はない。この場にいるのはただ、私と、鏡に映った私の影法師のみである。

再び、顔を洗う。すると、やはり水音の向こうから声が聞こえてくるような気がした。その声の質に、どこか聞き覚えがあるが判然としない。だが、その響きはどこか悲痛で、何を言っているのかだけは不思議と理解できた。

「……分からない。分からない。分からない、分からない、分からない。もう一度、あの頃に戻してくれ!」

私は愕然として顔を上げた。鏡の顔はこちらをまっすぐと見つめて口を開く気配すらない。あるのは蛇口から水の流れる音だけ。そんなことは百も承知であったから、あまりの可笑しさに喉奥から空気がかすれて漏れてきた。――早く準備をしよう。髭剃りに髪のセット、荷物の確認まで、今朝はやることが山ほどあるのだ。

諸々の準備を済ませ、このようにして約束の場所へ列車で向かっているのだが、どうやら途中で眠りこけてしまったらしい。だが、二度寝をするには中途半端な距離になっている。

仕方がないので、私はスマートフォンのロックを解除し、LINEに「自分も向かっている」という旨のメッセージを送信し、時間つぶしにTwitterを開くことにした。すると、タイムラインに一つのブログ記事が目に留まった。

 

徒然すぎて草。

 

なんというふざけた名前だろうか。しかもブログ名もブログ記事も同じになっている。だが、一度指を触れてしまったのも何かの縁だ。どうせすることもないので、私はこの記事を読むことにしたのである……。

 

 

 

季節の挨拶

連休も終わり、令和の初出勤を迎えようという諸氏におかれましては、いかがお過ごしだろうか。

私はいつもの通り懲りることなく、左から来る画像を右にスワイプする日々である。運がいい日は4人くらいとマッチするし、悪い日は1人マッチするぐらいだ。その内、話が続けられるのは半分くらいで、アポを取り付けられるのは更に割合が下がる。

こうしたアプリの宿命である。

確か、今回は9人目……となるはずだった。8人目の人はさして好みではなく、苦しみも面白みもなく終わったので記事にすらしていない。

 

アポ調整

今回、やり取りをしたのは、二十歳の女性だった。

曰く、「一緒に美術館を回れる人募集中」とのことだ。私は迷わずメッセージを送った。人生初のデートが宝石の美術展だった我が身はもはや、美術館デートの申し子と呼んでも過言ではない。1回しかしていないが、自称するのは自由である。

初回のメッセージは、「最近、クリムト展やトルコ至宝展が気になっているんです。美術館とか好きなんですね! よかったらお話しませんか?」みたいな内容にした。共通の趣味ほど話をトントン拍子に進める梃子はない。

どこが気になっているとか、歴史系の展示で当時の人の暮らしに思いを馳せるのが好きだとか、そんなことで盛り上がった後、頃合いを見てアポを打診する。あっけなく承諾された。一緒に、乃木坂の国立新美術館でやっている「トルコ至宝展」を観に行こうということになった。

1時間くらい、往復15通ほどのやり取りをしたくらいだと思う。

 

エキサイティングメンヘラカウンセリングとその後

ところで、私は彼女のことを、二十歳だということもあって女子大生だと思っていたのだが、話を聞く限りどうやら違うらしい。

飲食店に朝から晩まで勤めているとのことで、「朝の9時から22時半まで働くか、朝10時半から24時半まで働くかのどっちかです」と聞かされた時は、労働基準法とはなんだっけか、と思わずにはいられなかった。

仕事は具体的にどこの担当なのかと聞くと、本当は厨房をやりたいのだがホールの仕事しかさせてもらえず、後から入ってきた人間の教育をしていても自分の希望が叶えられる気配がないとのことだった。

私はすかさず、将来に何をやりたいかを聞いた。すると、「前は料理人になりたかったけど、今は分からなくなった」と返ってきた。この答えを聞いた瞬間、私は「この子からもっと心の闇を引き出せるな」と思い、事実その通りにした。

つらつらと現状の不満や不安を述べさせ、それに対して「分かるぜその気持ち!」と返答するメンヘラカウンセリングの始まりである。共感するだけだとただ暗い気分で終わるので、頃合いを見計らって、「きっとうまくいくよ大丈夫!」という言葉を投げかけるまでが業務範囲だ。

このフェイズに入り、そろそろ大丈夫だよ感を出そうかな、と思っていたその時である。

「なになに、あなたはメンヘラに共感してワンチャン狙うタイプ?」と返ってきた。

途端にヒリつく空気。私はすかさず、「他の人のね、そういう話を聞くのが好きなんだ」と返した。ちなみに現地語で人の苦しんでいる姿に共感してみせるのが好きなんだ、という意味である。

すると、「変態だな」と返ってきた。中々に手厳しい。

その後、互いの自撮り写真や過去の写真を見せ合うなど、いい感じに話をしてその夜の会話は終了した。

 

ちなみに、カウンセリングに至るまでの過程で、以下のことが分かっている。

・セフレがいた経験あり

・現在彼氏持ち

確証はないが、前に私と同じようなことをした男と関わりがあったんじゃないかという気がしている。だからどうだという話でもないが。

 

幻想の終わり

問題は、メンヘラカウンセリングをした後のことである。

レスポンスが悪くなった。思い当たる節は一つしかない。アレは私に期待されていたロールではなかったのだ。

前日の、「明日は大丈夫ですか」メッセージにも返信はなく当日を迎え、集合10分前になってもtinderに表示される距離が全く縮まらないのを見て、私の腹は決まった。

 

今日、一緒に行く予定だった店や場所に行ってレポートにしよう、と。

 

予定では、昼を早めに食べてから国立新美術館へ行こうという話をしており、私はorangeという店を提案していた。

tabelog.com

 

六本木から国立新美術館へ最も行きやすいルートの途上にある店である。予算は1500~2000円くらいだろうか。若干高く感じるが、六本木の駅前で食事をするとしたらそんなものなのだろう、と腹をくくった。

 

アポ予定の時間きっかりに店のバルコニー席に腰掛け、tinderで縮まらない距離を悠々と眺めながら注文したのは、ハンバーグのランチセットだった。

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最初に通されたのは彩り豊かなサラダである。微かに感じる香草の気配と細切れにされたベーコンの塩気、くどすぎないドレッシングの風味。全てが手を取り合って私の目の前を横切るカップル達を祝福するかのようであった。もう少し味が濃くてもいい。

 

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 ハンバーグも中々のものだ。外はカリッと焼きあげられていて歯ごたえがあり、変な脂身に頼らない食べ応えがある。付け合わせのポテトやブロッコリーも味付けや油分の加減がちょうどいい。余ったソースをバゲットに付けて食べれば、男の私でも満足する量になる。

 

総じて、いい店だったと思う。来るはずだった相手がいないので、バルコニー席の眺めがいい。

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その中で飲む食後の紅茶も中々いいものであった。向かいに人がいる体で話でもしようと思ったが流石にやめた。

 

いざ、国立新美術館

おかしい。予定だと11時半に店に入り、12時半にでも店を出る予定だったのに30分かそこらしか経っていない。それは全てメンヘラカウンセリングに挑もうとした我が身の鯖でしかないから、来ない女は来ないと諦めるしかない。否、腹を括った。

肩風切って六本木の道を往く我が身の、なんという誇らしさか。

ミッドタウンから美術館へ通ずる小径は、小洒落た店が軒を連ねている。回ってみても面白かろう、だがそれは、またの機会にとっておくのだ。

美術館へ着き、迷いなくトルコ至宝展とクリムト・シーレ展のチケットを買う。思っていたより財布から覗くお札の枚数が多く残った。金が残るのは良いことである。

館内は撮影が禁じられているので、中の様子を文章でしか伝えられないのがもどかしい。

印象的だったのは、スルタン(≒王)の権威を示す玉座に、武器や植物のレリーフが多く用いられていた点だ。武力、権力、そして豊かさの象徴だろうか。

 

また、エメラルドとルビーが主に用いられ、ダイヤモンドは単に白を表す石程度の用いられ方をしているのも面白い。使われているダイヤモンドの多くは、現在の我々が目にするような数多のカットが施されたものではなかった。

おそらく、カットの技術が発達する前の時代における作品なのだろう。ダイヤモンドの輝きはさほど強くはなかった。

 

チューリップにかけるスルタンの情熱はイスラムならではのものだ。

なんでも、アラビア語でチューリップを意味するラーレは、神の名を示す綴りと同じであるらしい。故に、チューリップを愛することは神秘に通ずると信じられていたようである。

 

トルコ至宝展を出ると、私は館内をくまなく歩き回った。国展という美術作品の展示が無料で開かれていたからである。

美術作品の数々を見ていると、私の生み出す何物かをこうした晴れの舞台に……と狂おしく思うものだが、その実、私が生み出すのは悲しいかな、諸兄がご覧じるこのブログのみである。

 

クリムト・ラーレ展はクリムト目当てで入るならやめたほうがいい。ただ、20世紀末のウィーンの習俗を知るにはいい企画であった。

私のコメントはただ一つ。

クリムトの描く女には色気がある。

 

行く予定だったカフェへ

一通り見て回り、時計を見ると既に3時を回っていた。なるほど脚が震える訳である。喉も渇く。美術館の中にも各階にカフェが開かれているが、せっかく六本木に来たのだから外へ出なくては勿体ない。

私は前もって調べておいたカフェへ向かうことにした。目星をつけていたのは2店舗。

片方は3時を過ぎると一時閉店となるようだったので、もう片方を目指すことにした。

入ったのはカファブンナという昔懐かしい喫茶店という佇まいの店である。

tabelog.com

 

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コーヒーもスタバで飲むよりいい値段がした気がしたが、なにせ予算はまだ尽きない。気にせずデザートも頼むことにした。

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ババロアを食べるなど何年ぶりだろう。コーヒーも深みがあり、美味しいコーヒーとはこういうものを言うのだと心で分かった気がした。

さて、問題はカフェを出た後である。この後、体力が残っていれば(そして相手がいれば)、もう一つの目的地へ向かうつもりだったのだが、なぜか胸の隙間風があまりにも冷たいので、このまま退散することにした。

 

帰りの車内にて

上手く言語化できない感情が胸の内に渦巻き、叫びだしたくなるのを抑えるのがやっとであった。すっぽかされるのは別に初めてではないし、そういう時にメンタルをどう持っていけばいいかはある程度分かっているつもりだ。

ただ、慣れたからといってノーダメージかというとそうでもない。開き直って一人で楽しもうとしたのも、後から思い返せば自傷行為の一つの形に過ぎない。とはいえ、今回の私の態度に全く非がなかったかといえばそんなことはないのだろうし、被害者面するのは全くもって無意味である。

私がやるべきはただ一つ。機械のように画像を左から右に流し、やり取りを重ねていくことだけだ。

一日中歩いたことによる肉体の疲れと、精神の摩耗が電車の揺れと共に睡魔となって襲い掛かる。

胸ポケットにしまったスマートフォンが震えだす。きっと適当に右へスワイプした人とマッチでもしたのだろう。いつまでこんなことを続けるのだろう、考えるのも面倒くさい。

 

…………ヴゥゥ――ンンン――ヴゥーッ、ヴゥーーッ…………。