母の残影
先日、我が家からの別居を始めた母が、ふらっと戻ってきたときにこう言った。
「私、意外と寂しがりやだったのかもしれない。おかしくなりそう」
その言葉に私はひどく呆れた。
なにを今更。
とっくにおかしいぞ。
元来、母は寂しがりやである。もっと粘度の高い言い方をするなら、愛情に飢えている人であった。
夫からの愛情が感じられないと喚き、息子である私からは必要とされていないと泣く、言ってみればひどく面倒な人だった。
我が家にいさかいが起こった理由の七割は、この母親の性分が原因であったと私は記憶している。
彼女の言い分はたいてい、あなたたちはどうせ私を必要としていない、便利な飯炊き女程度にしか思っていない、そんなならお手伝いさんでも雇えばいい、とまあそんなところだ。
要するに三人しかいない我が家において、母以外の二人、つまり父と私に、「己の存在価値」を精神的に担保することを求めているのだ。
彼女はいつも必死に愛情をくれ、認めてくれ、居てもいいと言ってくれ、と、くれくれくれの三段活用で悲鳴混じりに懇願するのだが、父と私には全くピンとこない。
なぜ他人に存在価値を認めてもらわないといけないのか。
いわば高給取りである父の扶養の下に暮らし、不自由もさほどなく暮らしているのになにが不満なのか。
愛情とは何か。毎日、毎日、「あなたが必要だ」と儀式のように言ってほしいのだろうか。それではミサと変わりない。
私にとっては特に、存在価値の部分が理解できない。
そもそも、我が家にいていい理由は法的に定まっている。父の妻であることは二十何年も前に役所の書類で決まっているのだ。父もそのことに文句を言ったことは一度もない。で、あるならば、彼女はふてぶてしくも我が家のリビングのソファでせんべいでもかじっていればよいのだ、と私は思う。
四十を超え、いい年をした女(しかも母である)の自我が、なぜ己の存在価値を他人に認めてもらわなければならないほどに脆弱なのか、「私を認めてェーッ!」とドグラ・マグラの呉モヨ子ばりに喚き散らす様は見ていて滑稽で痛々しい。
さらに理解に苦しむのが、二十年以上も同じこと、つまり存在価値のことで彼女が苦しんでいるという事実である。母は、私にとっては幸か不幸か、彼女曰く愛情やら存在価値やらを満足にしてくれない我が家を見限ったことがない。
二十何年も同じことを繰り返せば諦めがつこうものだが、一向につく気配がない。
「この家にいてそんなものが得られないことはよく分かっているだろう、こんな無駄なことはない。他に心を許せる場所を探した方がよほど得だ」
と言っては見るものの、年々激しさを増すばかりである。
おそらく、世の中の人々は満たされない心を不倫だとかで紛らわしているのだと思うのだが、母にはそういう考えがないらしく、彼女の愛情と依存心は我が家の一点張りである。それでリターンが三十六倍にもなれば報われるものだが、残念ながら我が家においてそれは永劫にない。心理的にオケラになって終わりである。
ある場所がダメなら別の場所を探す。ある人がダメなら別の人を探す。人生における時間を投資するのだから、リスクヘッジはあってしかるべきである。投資には目的がなければならないが、一つの銘柄にこだわるのはやはりリスキーだし、褒められた手段ではない。
母は寂しがりやであるとともに、非常に疑りぶかい。
絶えず夫、つまり私の父の浮気を疑っている。
母は毎朝、玄関先でタバコを吸いながらスマートフォンを弄っている彼の姿を見るたびに、愛人と連絡を取っていると思うものらしい。
それを聞かされたとき、何をバカなことをと思ったものだが、彼女はいたって本気である。
私は父が愛人を囲っていようが何だろうが、生活費を入れてくれればどうでもよかったが、仮に母の言うことが現実ならそれはそれで面白かろうと考えた。
中年男でも隅におけないものだと思えたし、もし露見すれば、我が家始まって以来の炎上案件である。隅におけない男が炭にならないよう、どう立ち回るのかには興味があった。
そこで、父に言質を取ってみれば、なんのことはなかった。毎朝見ているのはスケジュール確認と2chのまとめサイトだというから厭にリアルである。
父は自分の妻に浮気を疑われていることを知っているから、ため息混じりに言う。
「(疑われている)意味が分からない。よくもまあそんなことに頭が回るもんだ」
私は笑いながらこう答える。
「これまでも、これからも、あの人(母)は死ぬまで同じことを言い続けるよ」
母は寂しがりやで、誰かに構ってもらうことを求めていた。
学術的に言えば知覚・愛情・承認欲求が満たされることを求めているわけだが、
子どもが親に構ってほしくてなにか騒ぐのと、
いい年をした大人が喚くのでは訳が違う。
そして、いざという時に彼女が取る手段はなかなかに悪辣であった。
自殺未遂を数えること四回は見たと思う。
一度目は包丁で腹を裂こうとし、二度目、三度目は薬の過剰摂取、四度目は見飽きたから、未遂をしたということしか覚えていない。
小学校に上がる前ほどのころに腹を押さえてうずくまる母親に、とりあえず血を止めるためのタオルだか何かを寄越し、
小学五年だかのあたりに大量に飲んだ睡眠薬だか頭痛薬を吐かせた。
後々になって調べてみると、薬の方は睡眠薬程度では死なないらしいということが分かり、それだったら必死になって吐かせようと頑張ることもなかったな、と思ってしまった。
「メンヘラ」という言葉を知るようになったのもちょうど同じ時期であり、
携帯のアドレス帳の登録も「クソメンヘラ女」に変わった。
以来、メンヘラ系のライフハックや記事を見かけると、立ち会った人間の後始末が異常に面倒だから自殺未遂だけはしてくれるなと思うようになったし、
好きな女の子のタイプは? と聞かれたときには、「寂しいって言わない子かな」と答えるようになってしまった。
一般的に、息子というものは母親の姿に理想の女性のなにかしらを影響されると言うが、ずいぶんと歪になったものだと思う。
あなたにとって私は何者なの、と母は問うが、私はその答えを一つしか用意できなくなってしまった。
「面倒な人」
そのため、もう顔を合わせたくない。
建設的でもない、理解も出来ない話に何時間も使う価値が見出せなくなった。
その時間で記事が1本は書ける。
母はことある毎にハウスキーパーと自身を比べるが、
家事代行サービスが月何万で受けられる今のご時世、
金で問題を解決できることの方が遥かにマシだと思える。
何も感じずに生きていくことが望みであり、平穏であると信じている。
ゆえに平穏、感情を乱す者は敵であると言える。
だから今、母親は明確に私の敵となった。